2015年3月26日木曜日

福沢の創作ではない

福沢の創作ではない
日本落書史上の最高傑作ともいわれているものに、「二条河原の落書」と言うのがあります。
 二条河原の落書
 此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀にせ綸旨
 召人 早馬 虚騒動そらさわぎ
生頸 還俗 自由まま出家・・・・・
 この中に、自由と言うのが出てきます。
 福沢の創作じゃないんですよ。
 福沢は英語を翻訳するときに多くの語彙を作りましたから、これもそうだと勘違いしたんでしょうけどね。
ケント・ギルバートは少しは賢くなったんでしょうね。
30年も前かな、日テレの昼の番組で「ワサビを寿司につけて食べるって日本人はおかしいんじゃないか」と。
 確か浅香光代さんも出ていたんですけど誰も何も言わなかったんだすよね。
 私が出ていたら説明したのにね。
ワサビには殺菌作用があります。
 当時の日本人は科学はわからなかったけども、経験則としてワサビに食中毒の予防の効果があるのを分かっていたんでしょうね。
 握りずしは生魚ですからね。
 食中毒が怖かったんですよ。
チョンの悲劇は我々日本人にとって喜びですから当然喜劇となります。
 李朝末期を旅したロシア人だったかの紀行本を読んだのですけどね。
まあ、なんというかまるで大人の男も子供みたいなんですよね。
 今は勿論違うけど、ベトナム戦争の時に大砲の砲身を覗き込むベトナム人に米兵は手を焼いたものです。
それと同じでしょうね。

 【日韓】日本語と漢字を廃止した某国 文献を読めないのは悲劇か喜劇か ケント・ギルバート氏[3/25]©2ch.net
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/images/20150325/dms1503251140002-p1.jpg
福沢諭吉は、英語「Freedom」に相当する日本語として「自由」を創作した
 私はブログとフェイスブックに載せる記事を、原則として日本語と英語の2カ国語で書いている。記事の題材や資料が英語の場合、先に英語で書いてから日本語に翻訳する。この場合はあまり苦労を感じない。
  しかし、参照する資料などが日本語だった場合、先に日本語で記事を書いてから英語に翻訳する場合が多い。このパターンは少々やっかいだ。
  日本語は漢字という1種類の表意文字と、ひらがなとカタカナという2種類の表音文字を組み合わせて表記できる。しかも、「助詞」をうまく使えば、日本語は文の中で語順を入れ替えることすら自由自在だ。
  他方、英語はアルファベットという26文字だけで全てを表現しなければならない。便利な「助詞」は存在せず、倒置法などは限られる。
  ちなみに、日本語の仮名は「五十音」と言われるが、「がざだば」行の濁音、「ぱ」行の半濁音、「ぁ」行と「っゃゅょゎ」という捨て仮名を入れると、ひらがなは76文字。カタカナは「ヴ」も使うから77文字ある。
 加えて、常用漢字は2136字/4388音訓もあり、同じ言葉でも、どの文字種を使うかで微妙に意味を変えられる。
  従って、日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。うまい皮肉を日本語で思い付いても、英語で表現しようとすると本当に大変なのだ。
  世界に誇るべき日本語の表現力だが、前回の連載で、君が代の変遷について書く際に、日本の初代文部大臣の森有礼(ありのり)について調べていたら、驚くべき事実を知ってしまった。
  森は10代で英国に留学しており、英語が非常に堪能だった。この日英バイリンガルの大先輩は「日本語を廃止して、英語を日本の国語にすべきだ」と考えていた。漢字の複雑さを特に問題視していたようだ。
  確かに、明治初期の漢字は今よりも複雑で数も多かった。話し言葉は口語、書き言葉は漢文という不自由な習慣もあった。西洋に後れた政治や経済、科学などの学習に必要不可欠な英単語は、日本では概念すら存在しないものが多かった。
  例えば、「社会」「存在」「自然」「権利」「自由」「個人」「品性」「人格」「情報」「近代」「美」「恋愛」「芸術」「彼・彼女」などの言葉は、江戸時代の日本にはなかった。明治期の先人が苦労を重ねて生み出したのだ。
  もし、これらの言葉が使えなかったら、日本語の文筆作業は相当もどかしい。だから、当時の森の気持ちも理解できるが、現代から見れば、満41歳で暗殺された森の考えは若気の至りだった。
  ところが、本当に漢字を廃止して、独自の表音文字だけにした国が、日本の近くに存在する。結果、国民の大多数が、わずか70年前の書籍や新聞を全く読めず、真実の歴史に向き合えない。悲劇と呼ぶべきか、喜劇なのか。それが問題だ。
  ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。
 83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150325/dms1503251140002-n1.htm
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150325/dms1503251140002-n2.htm
関連スレ
【韓国】「母国語の発達を阻害」「学習負担が増える」「読む速度が遅くなる」…小学校教師が教科書の漢字併記に反対[02/18](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1424229898/

2015年3月20日金曜日

十分あり得る

十分あり得る
皆さん荒唐無稽だと思わないでください。
たかじん委員会で三宅久之さんが出演していた時に、「南が北に吸収統一されるのではないか、心配している」と発言しました。
 同じく出演していた、デーブ・スペクターが「ありえない」と発言したら、三宅さんは「何も知らないのに黙ってろ」と口論になりましたね。
ゲストで出演していた関西大だったかの教授の李英和に辛坊さんが聴きました。
 「ありえますか」
 「ありえますが、金正日はそうしないのです」
 本当は、理由についてはもっと長い発言でしたが詳しくは忘れてしまいましたね。
とにかく当時の雰囲気ではあり得ると私も思いましたね。
 当時はノムヒョン政権でしたかね。
KBSなんかは政権から左翼が大量に入り込んで金正日を賛美してましたからね。
 朴槿惠は間違いなく政治家としては無能です。
 次は左翼が政権をとるのはかなりの確率であり得ますね。
その時、体制崩壊で北による吸収統一になるでしょう。
 南に左翼政権ができて米韓同盟破棄になった場合、韓国軍は、クーデターを起こすかもしれません。
まさしく半島有事です。
その場合、米韓同盟は破棄されていますから我が国は、厳正中立宣言を出します。
そうしないと韓国から大量の難民が押し寄せることになりますからね。
 金持ちはさっさとアメリカあたりに逃げだしてるでしょうけどね。
 厳正中立宣言を出しますと難民はすべて海で殺します。
そうでないと厳正中立ではなくなりますからね。
 在日韓国朝鮮人も強制送還です。
 問題は竹島です竹島を取り返すために北を使うのです。
 米韓同盟が破棄されたらもう遠慮はいりません。
 北が条件を呑めば南とは断交して北を唯一の政党政権と認めるのです。
 条件とは、1拉致被害者の全員の解放、2核とミサイルの放棄、3竹島が日本領土であるとの宣言ですね。
 北がこの条件を呑むとは私も思いませんが交渉はするべきでしょう。
 半島がこのような状況になればさすがに改憲と核保有となるでしょうね。

 【正論大賞】 「北朝鮮と韓国、どちらが先に体制崩壊するか」~受賞記念講演で西岡力氏[03/19]
http://www.sankei.com/images/news/150319/wst1503190073-n1.jpg
 ▲第30回正論大賞受賞記念大阪講演会で講演する西岡力氏=19日午後、大阪市北区のリーガ
 ロイヤルホテル(恵守乾撮影)
  第30回「正論大賞」(フジサンケイグループ主催)に輝いた東京基督教大学教授の西岡力氏の
受賞記念大阪講演会が19日、大阪市北区のリーガロイヤルホテルで約550人が出席して開かれ
 た。西岡氏は「朝鮮半島の近未来と日本」をテーマに、朝鮮半島情勢などについて語った=写真。
  西岡氏は、韓国では1980年代に北朝鮮による民族主義が浸透し、反日反米の“従北派”が増え
続けていると指摘。「独裁政権の北朝鮮と、従北派が伸長する韓国のどちらが先に体制崩壊する
 かというほど緊迫した状況になっている」との認識を示した。
  北朝鮮については、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)からの送金が核開発に使われてきたと
主張。日米の経済制裁で外貨不足に陥ると対外的に反応するとし、「外貨不足が北朝鮮の弱点だ」
と述べた。
  北朝鮮による拉致被害者について「生存情報がある」と強調。昨年7月に北朝鮮が日本人拉致
 被害者らの安否を調査する特別委員会を設置したことに触れ、「日本政府は拉致被害者の生存保
 証を取ってから再調査に臨むべきだった」と語った。
  正論大賞には現代史家の秦郁彦氏も選ばれた。
ソース:産経ニュース<「北朝鮮と韓国、どちらが先に体制崩壊するか…緊迫」 西岡力氏が受賞
 記念大阪講演会で>
http://www.sankei.com/west/news/150319/wst1503190073-n1.html

2015年3月14日土曜日

リー・クアンユー

リー・クアンユー
朝鮮人の書いた記事ですから鵜呑みはできません。
リー・クアンユーはのちにシンガポールの首相になりますが、副首相の時に米国副大統領だったニクソンと会談を行います。
ニクソンの回顧録に次のような記述があります。
 彼はこう述べた「日本人は偉大な国民です、日本人が遊びでおもちゃを作っていると思いますか、日本は必ず経済で大国になるでしょう」
ニクソンは戦勝国の副大統領ですから「信じなかったが、その通りになった」と書いています。
 占領中、日本はシンガポールを昭南島と呼んでいました。
 日中戦争の時に華僑が多く住む東南アジアでは反日感情が高く当地に在住の日本人が襲われ一家皆殺しが多くあった、そのため日本人は本国へ救援を求めたが、当時はイギリス領であり手出しができなかった。
そのため占領したシンガポールでは犯人探しが行われ華僑を捕まえて処刑したのだ。
数はそんなにはなかったと思います。
 因みに朝鮮人で死刑になったものがいますよ。
 裁判では朝鮮人は日本人以上に狂暴であったとの証言が多く述べられています。
イギリス以上に残酷・乱暴・不当と書いていますが、イギリスは統治したのであって戦争していたわけではありません、日本は戦争中なんですね。
 当然違いますよ。
 朝鮮日報は、先ほど書いた朝鮮人が日本人以上に狂暴だったという裁判での証言は、無視のようですね。
 朝鮮人148人台湾人が173人が戦犯として裁かれ死刑になったものもいました。
 有期刑となったものは日本人と一緒に巣鴨へ送られのちに釈放されました。
この人たちには優先してタクシー免許が与えられました。
 名付けて戦犯タクシーですね。
 慰安婦はいた、では何故いたのかですね。
わざわざ、5000キロも離れた日本人や朝鮮人、台湾人を連れてきた理由は何故なのかですね。
今なら飛行機で6時間くらいでしょうけど。
 当時はジェット旅客機なんかなかったんだから。
 船と鉄道かトラックか馬車ですよ。
そんなことしなくても娘を無理やり連れていく軍なら現地の娘を強制連行すりゃいいわけでね。
それだけでも無理やりじゃない事が証明されているんですよ。
オランダ人慰安婦は将校が勝手にやったことです。
その証拠に軍が抗議を受けて調査して事実だとわかった時にはすぐに慰安所は閉鎖して慰安婦も全員解放されいます。
 軍が命じたなら閉鎖も開放もあるわけないでしょ。

 【コラム】「『慰安所』前に日本兵が順番待ちで並んでいた」
 「日本軍を憎んだが、弾圧がどんなものか知っていたので逆らわなかった」
 「韓国人は日本統治への抵抗をやめなかった。そうしたケースはあまりなかった」
 【コラム】「『慰安所』前に日本兵が順番待ちで並んでいた」
  大学生だったリー・クアンユー(李光耀)氏は寄宿舎にいたとき、爆発音で目を覚ました。1941年12月8日の未明。英国植民地のシンガポールに日本軍が攻め込んできたのだ。
  3日後、彼は街で初めて日本兵を見た。小柄な体格で長い銃剣が付いた小銃を持つ姿は見慣れぬものだった。軍帽の後ろに白い布が付いているのも特異だった。ジャングルで戦って風呂にも入れなかったのか、異臭を放っていた。
  日本軍は数の上では劣勢だったが、大胆な速攻戦で英国軍を撃破した。それまで何の疑いもなく受け入れられていた白人優越神話が崩れた。「西欧帝国主義の下、奴隷のように暮らしてきたアジア人たちを解放させる戦争」という日本のうたい文句そのままだった。しかし後日、シンガポール首相になったリー・クアンユー氏は「新たな支配者になった日本軍は英国人よりも残酷・乱暴・不当で、悪意を持って同じアジア民族である私たちを扱った」と回想している。
  日本軍は占領直後、中国系住民を探し出した。トラック約50台に乗せて海岸に連れていった。そして彼らを後ろ手に縛り、海に向かって歩くよう命じた。背後で日本兵の機関銃が火を吹いた。兵士たちは死体を足で蹴ったり、銃剣で刺したりして生存者がいないことを確認した。後の戦犯裁判で日本軍は「当時、反日分子6000人を殺した」と認めた。真相調査団はその数を5万-10万人と推定した。
  ある日、劇場前に人々が集まっていたので行ってみると、人の首がさおにかかっていた。練兵場でかかしを相手に銃剣を突き刺す時に張り上げていた日本兵の叫び声は背筋を凍らせた。
  「昔の異民族侵略者『匈奴(きょうど)』を思わせる凶暴さがあった。おそらくチンギスハンも日本兵よりは残酷でなかっただろう。私は広島と長崎に原爆を投下しなければならなかった当為性を少しも疑ったことがない。もし原爆を使っていなかったら、日本本土をはじめ各地でおそらく数百万人の不必要な犠牲が出ただろう」
  リー・クアンユー氏は自転車に乗っていたとき、市内の高級住宅街の塀沿いに日本兵約200人が並んで順番を待っている姿を見た。看板には「慰安所」と書かれていた。
 「朝鮮人女性が部隊に付いて回ってサービスをしてくれるということをその時初めて知った。私は当時、日本の軍部がどのように朝鮮・中国・フィリピンの女性たちを拉致し、そそのかして部隊に付いて回る慰安婦にしたのか知らなかった。オランダ人女性たちは将校向けの慰安婦にもなっていた」
 終戦後の1946年、シンガポールで行われた日本に対する戦犯裁判を彼は傍聴した。当時の検事は開廷論告で次のように述べたという。「日本軍が犯した蛮行を調べてみると、果たして人間はどこまで悪になれるのか、またどれだけ堕落できるのかについてゾッとせざるを得ない。もしかしたら人間の尊厳を感じさせてくれるものがあるかもしれないと期待し、資料を調べに調べたが、結局見つけられなかった」
  3年半にわたり日本軍占領時代を経験したリー・クアンユー氏は次のような感想も残した。
  「日本軍の唯一の統治の手段は恐怖だった。彼らを憎んだが、弾圧とはどんなものかを知っていたので、彼らの意向に逆らわなかった。しかし、朝鮮人は日本が統治を始めた時から抵抗をやめなかった。朝鮮人の風習・文化・言語を抹殺しようとしたが、民族的自負心を持っていた朝鮮人は固い決意で野蛮な圧制者に抵抗した。こうしたケースはあまりなかった」
  随分前に出された『リー・クアンユー回顧録-ザ・シンガポールストーリー』を再び手にしたのは、無力感からだ。仏教には「対機説法」というものがある。相手のレベルに合わせて教えるべきだという説法だ。ドイツのメルケル首相は日本に対し「常に自身の過去と向かい合わなければならない」と述べたが、この点で決定的な「ミス」を犯した。
  日本のほとんどのメディアはメルケル首相の忠告を無視したり、数行の記事に挿入したりしただけだった。極右傾向の産経新聞は1日ほど間を置いた後、これに一つ一つ反論する記事を1ページ全面に掲載した。さらに「(日独)両国を単純に比較することは適当でない」「日本は『ホロコースト』のような犯罪はしていない(原文ママ)」と一蹴した日本の外相の言葉を解説した。
  自分の立場から見れば、自分の悔しさだけが見える。しかし、相手や第三者の立場から自分自身を見ることができて初めて「大人」になるのだ。戦後70年になるというなら、日本も大人になる時が来たと言っていいだろう。
  だが、安倍晋三首相は新年のあいさつで「戦時の日本を歪曲(わいきょく)する見解と闘う(原文ママ)」と刀を抜いた。皆が集団軍事教練をするかのように「歴史修正主義」路線に追随しているのだ。右翼が主流となっている日本の知識人社会はこれを鉄壁のごとく擁護している。こうした日本の動きを止める実際的な方法はあまりない。彼らの内部覚醒の力を除いては。
 崔普植(チェ・ボシク)先任記者
 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/03/13/2015031301394.html