2014年1月13日月曜日

羨ましいような


私の本名は至極ありふれているのですね。
 亡き兄の奥さんが就職のために面接に行きましたらこう言われたそうです。
 「どこにでもある苗字やな」
でも西日本では少ないんですけどね。
 珍しい苗字では、風祭なんか好きですけどね。
 確か千葉に多いとか聴いた記憶がありますけどね。
あれ調べてみたら小田原が発祥だとか。
 陶邑も希少苗字ですけどね。
 風祭春樹にかえようかな。

 剛力、能年、釈、薬師丸、貫地谷 「稀少名字」女優のルーツ
 有名人の名字には、初めて見る珍しいものが少なくない。ペンネームや芸名を名乗っているケースであることが多いが、中には本名である“稀少名字”をそのまま使う人もいる。
  NHK の朝ドラ『あまちゃん』でブレイクした能年玲奈。「能年」は山陽地方に点在する珍しい名字で、由来は中世に兵庫県姫路市にあった南畝村。南畝は“のうねん”と読むが、難読のため読み方に従って「能年」という漢字を充てた。江戸時代には消滅した地名で、ルーツはかなり古いとみられる。能年も兵庫県の出身だ。
  同じく『あまちゃん』で好演したのが薬師丸ひろ子。彼女自身は東京出身だが、「薬師丸」姓は肥前国佐賀郡薬師丸(現佐賀県)がルーツ。九州には「××丸」が多いが、××さんが開墾した土地という意味。薬師如来に関連するという説もある。
  次は貫地谷(かんじや)しほり。「貫地谷」は広島県西部の安芸発祥の伝統的な名字で、今は広島県東広島市西条町寺家に集中している。貫地谷自身は東京出身だが、父親が広島の生まれである。
  剛力彩芽も、全国で20世帯以下といわれる“稀少名字”組の1人。剛力自身は神奈川県出身だが、「剛力」姓は静岡県三島市の限られた地域の名字。“ごうりき”とは山伏や修験者に従って荷物を運ぶ人のことで、「強力」と書く場合が多いという。
  釈由美子の「釈」は、僧侶に多い名字。本人は東京出身。一般的に「釈」姓はお釈迦様から取られている。
  忽那汐里(くつなしおり)はオーストラリアで生まれた帰国子女だが、「忽那」姓自体は、愛媛県沖の瀬戸内海にある忽那諸島をルーツとする。中世にここを本拠とする、藤原北家の末裔・忽那一族がいたことで知られる。現在も松山市付近に集中している。
  あえて芸名をつけず、“稀少名字”をそのまま名乗るのは、インパクトのある名字で広く認知してもらおうという目的もあるようだ。
●協力/森岡浩(姓氏研究家)
※週刊ポスト2014年1月17日号

2014年1月12日日曜日

明けましておめでとうございます


明けましておめでとうございます
ちょっと遅い新年の挨拶ですね。
 新羅コンプレックスとは朝鮮人に対しての言葉だと思いますよ。
 広開土王碑文に書いてありますので皆さん見てくださいね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91
酒匂大尉が拓本を取ったのですが、朝鮮人は一切これを認めませんでしたね。
 捏造だと言っていたのですが中国で酒匂本以前に取られた拓本が見つりましてね。
 内容は酒匂本と全く同じ物で朝鮮人がよく言ってました捏造は完全に否定されましたね。
それでも朝鮮人は全く認めておりませんな。
 捏造は否定されましたから碑文の解釈で内容を完全に否定してますけど、無理があります。
そもそも中国の学者も日本と同じ意見なんですけどね。
 歴史歪曲と言うのはそっくりそのまま朝鮮にお返しいたしますよ。
それに朝鮮の歴史書である三国史記の新羅本紀に何と書いてあるかといいますと新羅の第四代国王は倭種だと書いてるんですな、つまり日本人だと。
そのほか百済新羅には多くの倭人が住んでいると。
 百済が日本に文化を伝えただと、お前らはアホだ。
 逆だろうが。
 日本の学者にも左翼のアホはどうしても大陸から入ってきたと言う先入観念から抜け出せないのがいるんですよね。
 【韓国】「日本書紀は日本の歴史歪曲の根源。任那日本府説は『新羅コンプレックス』の産物」 歴史家らが日本書紀注釈書を発表[01/12]
 「西暦8世紀に編さんされた『日本書紀』は、日本の歴史歪曲(わいきょく)の根源と言えます。
 統一新羅に対する競争意識や敵対感から、そのような本を書いたのです」
  ヨン・ミンス東北アジア歴史財団研究委員(写真)はじめ、金恩淑(キム・ウンスク)韓国教員大学教授、
 李根雨(イ・グンウ)釜慶大学教授、チョン・ヒョウン東義大学教授など日本史研究者7人が
『訳註日本書紀』(全3巻、東北アジア歴史財団)を翻訳・出版した。計約2000ページもある同書は、
 半分以上を註釈が占める。これまでにも翻訳本は幾つかあったが、大論争の震源地になってい
 る『日本書紀』の争点を、註釈によって細かく解説した本は、同書が初めてだ。
  『日本書紀』についてヨン研究委員は「一言で言えば、韓国古代史研究における両刃の剣のような本」と語った。
 『三国史記』にも載っていない韓国史の重要な事実が多数記録されている一方、神功皇后の三韓征伐や
任那日本府が韓半島(朝鮮半島)南部を統治したというような虚構も含まれているからだ。
 「史料を信じて安易にアプローチしたら、本自体の論理に取り込まれ、選択的に史料を利用したら、
 論理的矛盾にぶつかる、そんな本なのです」。
  ヨン研究委員は「神功皇后は、13世紀の蒙古襲来時に作り出された架空の人物で、『任那日本府』は、
 日本とは関係なしに伽耶の設置した機関が、ゆがんだ形で記録されたとみるべき」と語った。
しかしこれらの記録は、その後、日本人に誤った韓国観を植え付けた。近代日本のいわゆる「征韓論」の根拠になり、
 朝鮮侵略を合理化するのに利用された。
  なぜ、西暦8世紀の日本はこんな「原初的歴史歪曲」を行ったのか。「日本は8世紀に、
 律令国家として中央集権体制の構築に乗り出し、その過程で統治の正当性を確立する歴史書を作った」という。
 韓半島から渡来した遺民が天皇の臣下に組み込まれたことを根拠に、既に滅亡した高句麗・百済・伽耶が
「天皇の臣下の国」であったかのように装い、新羅すらもまるで「朝貢国」だったかのように歪曲した。
  なぜそんなことをしたのか。ヨン研究委員は「当時、三国を統一して新たに再編された新羅は、
 日本よりも経済的・文化的にはるかに進んだ国だったので、常に克服の対象だった」と語った。一種のコンプレックスだったというわけだ。
  ヨン研究委員は「現在、日本の学界で任那日本府説は学問的に廃れているも同然だが、
 『百済・伽耶が日本に朝貢していた』 という誤った学説はまだ維持されている。『日本書紀』歪曲の影響がまだ続いているということ」と語った。
 朝鮮日報日本語版 1月12日(日)8時42分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140112-00000176-chosun-kr