未だ開放ならず
92歳で7歳のときにですか。
ってことは1927年ですな
1927年に何かあったのかと調べてみましたけどね。
特になしですな、民潭に問い合わせようと思ったんですが電話でしか受け付けていないのでやめました。
そもそも供出なんて言葉自体1927年に存在していたんでしょうかね。
具体的に何故供出なのかですな。
私の推測ですが、要するに借金の方に米を持っていかれたんでしょうね。
理由を書かないところが朝鮮人らしいですな。
消防署のほうから来ました見たいな話ですな。
ところで何故92歳の朝鮮人のばあさんが日本にいるのかですな。
そこも質問したいんだけどね。
民潭三重なんかでは掲示板もあるんですけど前に質問しても全くの無しの礫でしたからね。
日本人の統治下にある朝鮮人は未だ解放ならずですから開放させてあげましょう。
要するに返してあげるんですよ。
名前をあの世まで持っていくんなら祖国で死なせてあげないとね。
【民団新聞】「日本人が来て種籾用の米まで全部持っていった」…在日1世が語る解放前の体験談-奈良・天理★2[07/11]
∞聞かせて!解放前の体験…天理・北中学で市民講座
∞夜間学級で学ぶ在日1世講師に
【奈良】天理市立北中学校夜間学級で学ぶ在日1世を講師にして、解放前の体験談を聞く市民講座が6月
23日、同中学校で開かれた。
この市民講座は、夜間中学生の持っている知恵や技、昔の経験を広く市民に伝えようと、約10年前から
始まった。これまでハルモニの糸紡ぎや、キムチづくりなども行ってきた。昨年度からは学期毎の開催と
なり、今回は「聞かせて!ハルモニの昔の話‐植民地にされた朝鮮」と題して、80~90代のハルモニ5人が
講師を務めた。約30人が熱心に耳を傾けた。
慶尚北道出身の朴尚任さん(93)は、「小正月に村中で楽しく遊んでいると、若い日本人が来て、『日本に
行けばいい暮らしができる』と言って、新婚ほやほやの従兄弟の兄さんを日本に連れていった」と話した。
姜必善さん(92)は慶尚南道出身。7歳の時、お米の強制供出の現場を目の当たりにした。「収穫したばか
りの米を選別しているとき、日本人が来て、いい米を全部持って行きました。来年にまく種もみの米まで見つ
けて、これも持って行きました。ハラボジが『来年は米を作れない』と嘆いていました」。
最後に、あるハルモニは夜間学級で学ぶ喜びを次のように語った。「夜間学級に来て先生に久しぶりに
本名で呼んでもらい、名前も書けるようになって、とてもうれしくなりました。この嬉しさは忘れられません。
親につけてもらったこの名前を、あの世まで持っていきます」。
ソース:(2012.7.11 民団新聞)
http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=18&category=2&newsid=16166
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