何度も言ってるでしょ。
大衆に迎合するんだけど中に極左がいるのは間違いないね。
それがまた大きな力を持ってるからね。
戦後のマスコミは多かれ少なかれ左翼であったのは間違いないね。
戦後の警察の会議でスターリンを絶賛した警察署長がいたのがその証拠ですよ。
あのね、絶賛したってスターリンは容赦なく殺しますよ。
無駄な抵抗はやめろ、ですな。
山本七平ですか。
「日本人とは何か」がお勧めですね。
是非ご一読を。
これはたかじん委員会の大会議室でも何度も書いたけど、朝日は商売が上手だから朝日が撃ち手し止まんと書けば戦争になりますな。
でもその前に、読者が無くなって倒産でしょうね。
朝日新聞の「第二の敗戦」
最近の朝日新聞の激しい反原発キャンペーンは、戦時中の記事を思い起こさせる。当時もっとも過激な戦意昂揚記事を書いたのは、朝日だった。たとえば1945年8月14日の社説は、次のように書いて本土決戦を主張した:
原子爆弾は相当の威力を持つものに違いない。しかしながら、すべて新兵器は最初のうちは威力を発揮しても、やがてその対策の樹立されるに及んで、その威力をとみに減殺されることは従来の事実がこれを証明している。[・・・]敵の暴虐に対する報復の機は、一にこの国民の胸底に内燃する信念が、黙々としてその職場において練り固めつつある火の玉が、一時に炸裂するときにある。原爆が落とされ、ポツダム宣言も受諾したのに、まだ「敵の暴虐に対する報復」をあおっている。ところがその翌日、戦争に負けると、朝日は一転して「平和国家を確立せん」という社説を掲げ、憲法制定後は「平和憲法擁護」のキャンペーンを張った。
同じように1970年代の石油危機後、原発推進の空気が醸成されると、朝日は激しい原発推進キャンペーンを張った。その先頭に立った大熊由紀子記者が1977年に出した『核燃料』という本は「重大事故の確率は140万炉年に1回」という電力会社の説明を真に受けて、「地震が来ても大丈夫」と強調した。
その140万炉年に1回しか起こらないはずの重大事故が、この本の出版された2年後にスリーマイル島で起こり、9年後にチェルノブイリでは多数の死者が出た。そして今度の原発事故は、朝日にとっての「8月15日」だったらしい。社説では一転して「原発ゼロ社会」キャンペーンを張り、大野博人オピニオン編集長はこう宣言する:
脱原発について、できるかどうかから検討するというのでは、まるで3月11日の事故が起きなかったかのようではないか。まず「原発をやめるべきかどうか」について覚悟を決め、「やめることができるかどうか」が突きつける課題に挑む。福島の事故は、考え方もそんな風に「一変」させるよう迫っている。
これは1945年8月14日の社説と、気味が悪いほど似ている。共通しているのは、可能か不可能かを考えず、理想を掲げて強硬な方針を唱える姿勢だ。戦時中は大本営に迎合し、敗戦すると一転してGHQに迎合する。高度成長期には電力会社に迎合して原発推進キャンペーンを張り、事故が起こると一転して「原発ゼロ」に転向する。福島事故は、朝日新聞にとっての「第二の敗戦」なのだ。
「空気」を読んで大衆に迎合する朝日新聞の姿勢は、見事に一貫している。それは新聞の販売促進策としては正解である。読売や産経のようにオーナーが自民党や財界とつながっていないと、新聞は左翼的なバイアスをもつ。それは政府を支持するより批判したほうが売れるからだ。
このような傾向は朝日新聞に限らない。日本で秀才と呼ばれるのは先生の意図に迎合して答案を書ける学生であり、出世するのは上司の意図を忖度して企画を出す社員だ。空気には「ネットワーク外部性」があるので、いったん支配的になった空気は、破局的な事態に直面するまで変わらない。そして最終的に破綻すると、空気は一挙に変わる。
これを「日本的ジグザグ型進化」と呼んだのは山本七平だった。彼は70年代の反公害運動を冷静に分析し、そこに日本軍と同じ行動を見出した。その分析はかなり複雑なので、別の記事で解説しよう。
2011年10月01日 21:00 科学/文化
放射能という迷信
さっきの記事の続き。山本七平の日本人論は彼の宗教論とからんでおり、学問的には疑問もあるが、最近の反原発ヒステリーを分析するには適している。
彼が日本人の特徴として指摘するのは、物神崇拝の傾向である。キリスト教では、神は現実の世界から隔絶した超越的な存在だが、日本では霊魂は物質に「臨在」するとされる。それは生きている人間だけではなく、「御神体」や「三種の神器」のような物体にも宿る。「空気」はこのように物体に臨在する力である。
こうした伝統は現代にも残っており、公害をもたらす「悪い物質」とみなされると、安全基準を無視して徹底的に排除される。ごく少量のダイオキシンを除去するために全国のゴミ焼却炉が1兆円かけて廃棄され、健康被害があるのかどうかもわからないカドミウムを除染するために8000億円も費やされる。その費用対効果は問われない。有害物質は存在の許されないケガレだからである。
彼はあげていないが、放射能はこうした物神崇拝の最たるものだ。プルトニウムもセシウムも毒物ではなく、そこから出る放射線も自然界にあるものだ。問題は大量の放射線を浴びたとき発癌の確率が上がるだけで、福島原発事故で出た程度の放射線では健康に影響はない。
ところが「放射能から子どもを守りたい」と称して、放射能という有害物質があると思い込む母親が「子供の放射能基準をきびしくしろ」という運動を繰り広げている。国の決めている「生涯で100mSv」という暫定基準は、余命の長い子供ほど年間被曝限度は下がるのだから、子供はおのずから強く保護されるのだ。あと70年生きる子供なら、年間限度は1.4mSvで、これは日本全国の自然放射線量の平均だ。「母親の願い」で科学的な安全基準を変えようというのは、呪術的な思考である。
こういうとき「子供」とか「母親」というアイコンが使われるのも、反公害運動の常套手段だ。たしかに子供は細胞分裂が盛んだが、それを修復する機能も強い。だから癌は子供ではほとんど起こらないのだ。こうした感情的な議論は問題を混乱させるだけで、客観的な安全を確保する役には立たない。
山本は、こうした傾向を日本特有の「アニミズム」だとしているが、これはおかしい。物体に付随する「空気」が感情を呼び起こす現象は「スーパーセンス」と呼ばれ、世界各地で迷信の生まれる共通のメカニズムである。受動喫煙よりはるかに小さなリスクに大騒ぎして何十兆円もの除染を求める反原発運動は、科学の名を借りた迷信である。
このような「空気」が生まれるのは日本だけではないが、日本では「空気の支配」によって政府もマスコミも踊らされるのは、山本によれば長く平和が続いたため「合理的な意思決定が余り求められない」からだという。
中東や西欧のような、滅ぼしたり滅ぼされたりが当然の国々、その決断が、常に自らと自らの集団の存在をかけたものとならざるを得ない国々およびそこに住む人々は、「空気の支配」を当然のことのように受け入れていれば、とうてい存立できなかったであろう。(『「空気」の研究』p.79)
キリスト教が偶像崇拝を禁じ、唯一神の支配を絶対化するのは、こうした呪術的な信仰による対立・抗争を防ぐためである。ここでは神以外のすべての価値は相対的なので、現世の問題は論理で解決しなければならない。日本で非論理的な「空気」や迷信が根強く残っているのは、「極東の海に隔てられた別荘」で長い平和を享受してきたせいだとすれば、その呪縛を解くのは容易なことではない。
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