2011年4月9日土曜日

笑止千万の続き

これは前にも書いたと思いますけどね。
早稲田の早稲ってあるでしょ。
早く実のなる稲の事ですが、この早稲品種は2000年も前に日本人が作り出したものなんですよ。
早稲品種は熱帯ジャポニカと温帯ジャポニアを掛け合わせたものなんですね。
それを2000年も前の縄文時代に分かっていて掛け合わせたんですね。
こんな民族は他にないんじゃないでしょうかね。
あれは関東の農家ですね。
農地のほかに林を持っていまして落ち葉なんかを腐葉土にして肥料にしているんですね。
関東は火山灰地ですから土地が痩せているから有機質肥料が必要なんですね。
何度かNHKで朝鮮から水田稲作が伝わったなんていってましたがこれは嘘ですよ。
前回書いたとおり李朝末期の朝鮮では水田稲作なんか殆どなかったのですからね。
そんなとこから伝わるとはとても思えませんから。
熱帯ジャポニカなんかは所謂焼畑ですよ。
山を焼いて棒で少し穴を空けて種籾を2~3粒入れて土を被せて後は雨待ちです。
これは併合までの朝鮮の農業と同じです。

朝鮮の学者に限らず日本の学者の中にも中国の隣国だから中国の文化や技術が朝鮮を通って伝わったとの思い込みがあるようですね。
でもね、少し考えたらわかるんですよ。
例えば稲は遺伝子の調査で中国から直接伝わった事が判明していますしこんな事は遺伝子の調査をしなくても考えればわかることですよ。

いいですか、華北は小麦地帯なんですね。
いったいどこの誰がわざわざ小麦地帯の華北を通って朝鮮半島に稲作を伝えるのでしょうか。
そんな事ありえませんよ。
では稲作はどうやって半島に伝わったのでしょうか。
陸でも空からでもなかったのですから後は海からしかありませんよね。
半島に海から伝わったならば、何故日本にも海から伝わったと考えないのか。
上で書いたように遺伝子の調査で中国から直接伝わった事が確認されているわけです。
併合前の朝鮮の農業は今でも東南アジアで行われている焼畑と同じですな。

ニュースになりませんけどね。
今でも中国南部の漁民は海流や台風などで日本まで流されるものが年間数人いるんですよ。
勿論今ほどではないですが2000年前もわりあい行き来は活発だったんですよ。

日本が先進国になったのは偶然ではありません必然だったのですね。
なるべくしてなったと言う事です。

幕末から西洋の文化や技術が入ってきましたが、何故先輩がいち早くそれを消化吸収して我が物とできたかと言うとそれと同じものがあったからです。
プロテスタンティズムとそっくりの石門心学が広く庶民にまで行きわたっていたからですし、明治の人が英語が出来たのは漢文の素養があったからですしね。
数学なんかも和算がありましたからね。
要するに縦書きか横書きかの違いだけで数学の水準は同じだったわけですから。

いつでしたか、たかじん委員会でペリーが日本について調べた時にイギリスの経済誌が日本は東アジアのイギリスになるだろうと予測したのがありましたね。
ペリー来航の前の話ですからね、当然まだ開国もしていませんからよくそんな予測が出来たものだと。
イギリス人はよく見てますね。
だから世界中を植民地に出来たんでしょうね。
因みにサッチャー元首相は「植民地に文明を授けてやったんだ」とのたまっておりますよ。
いやあ、ただ単に収奪しただけじゃないんでしょうかね。
続きはまた書きましょうかね。


【韓国】世説・日本は永遠の小国になろうとするのか★2[04/08]

日本は中世以前まで生活の技術も粗末で、地方政府に対する統制もまともにされない国だったで。朝鮮時代にわれわれが
日本を倭と呼んで見下した理由は、朱子学を中心に高度な精神文化を成し遂げたわれわれの立場からは正しい衣服さえ着て
おらず、ふんどしひとつで略奪を日常的に行う対馬の海賊がそのまま日本のイメージだったためだった。

しかし近代に入ると状況が変わった。海上輸送が発達し、欧州の文物がインド洋と太平洋を越え直接日本に流入し、新文物に
渇望した日本は欧州の武器と制度を受け入れ急成長した。それまで文化は大陸から半島を経てわれわれが日本に伝授する立場
だったが、逆に海を通って新しい文物が流入するとは想像できなかったため、これらの変化を眺める衝撃は大きかった。

現代になり日本は新しいインテリに華麗に変貌した。アジアで無視されていたのをひっくり返そうとするような彼らの成長は
まぶしかった。しかし精神的基盤もなく刀と金を握ったインテリの力は言葉どおり災難だった。「大東亜戦争」という美名の
下で行われた惨憺たる戦争はアジアの多くの人々にぬぐうことのできない痛みを抱かせた。精神文化が土台となっていない物質
文明がどれだけ危険なことかをよく示している惨劇だった。

この結果に対して日本だけを恨むものではない。われわれは過去の一時期、遠慮なく日本を無視し蔑視した。その結果長い間の
劣等感が醸し出した日本の大国指向的帝国主義はわれわれにブーメランとなって返ってきたのだ。だが、今回の東日本大震災に
続くわれわれの態度は、長時間積み重ねられたわれわれの精神文化が光を放つ契機となった。隣国に広がった惨憺とした現実に
旧怨を越えてわれわれが見せた患難相恤の精神は自分たちが見ても満足だった。

しかしわれわれの心とは別に日本の態度は相変らず残念なものだ。代表的なものが領土問題だ。心が痛くて凄然とするほどだ。
この数世紀の間、東洋の精神文化に対する疎外が彼らにこんなにまで作用しているのかと思う。独島(トクト、日本名・竹島)が
いくらほしくても、隣人の心を得ることほどの価値があるとは考えられない。「領土を得るのはその土地分だけの利益だが、
隣人の心を得るのは無尽蔵な時間の利益」という点を忠告したい。


中央日報/中央日報日本語版: 2011.04.08 11:42:50
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138959&servcode=100§code=120

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