2009年11月10日火曜日

ふざけるな

朝鮮人の言う事の殆どは大部分嘘である。
これも嘘。
そもそも創氏改名を求めたのは朝鮮人であった。
創氏改名とは読んで字のごとく氏を作り名を変えることだ。
そもそも朝鮮には姓はあっても氏がない、だから創氏なんだ。
そして名を変えることだな。
姓はそのまま残されている。
創氏改名が行なわれた最大の理由は朝鮮人が求めたからである。
旧内務省の課長がはんこを押して始まったものだ。
その課長とは衆議院議員であった奥野誠亮である。

wikipediaより

かつて自民党総務会で、野中広務が、「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した麻生太郎を吊るし上げたことがある。この当時はまだ奥野誠亮がいて、「野中くん、きみは若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」と言ったら、野中はそこで中座して出ていってしまった。横で聞いていた野呂田芳成が、「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を聞かせていただきました」と言った。

奥野誠亮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E9%87%8E%E8%AA%A0%E4%BA%AE

【朝鮮日報】創氏改名 「〇〇族皆殺郎」等[11/10]

 もう二度と、あることをしないと誓うとき、韓国では「姓を変える」という。祖先から受け
継いだ姓はそれだけ神聖かつ貴重なものであり、これを変えるほどの屈辱はほかにな
い、という意味もある(韓国では結婚しても姓は変わらない)。だが、70年前の1939年11
月10日、朝鮮総督府は朝鮮人に対し、固有の姓名を日本式の氏名に変えるよう求める
「創氏改名」政策を実行した。1895年の明成皇后(日本での呼称:閔妃〈びんぴ〉)殺害
事件の後、親日政権が施行した断髪令により、親から受け継いだ髷(まげ)を切らされ
たのに続き、今度は姓まで変えさせられたというわけだ。

 行政機関や学校、全国2943カ所の警察の駐在所が、創氏改名を押しつける動きに出
た。当時、朝鮮人の姓は341種類あった。全羅南道谷城郡のユ・ゴンヨンという人物は、
「国が滅びたときに死ぬことができず、30年もの間、日本人の不道徳ぶりを嫌というほど
見聞きしてきたが、ついに血族の姓まで奪おうとしている。獣のような生き方をするので
はなく、死を選ぶことにした」という遺書を残し、自ら命を絶った。

 慶尚南道東莱郡(現・釜山市)の50代の男性は、姓を「犬子(いぬのこ=韓国では最
大級の侮蔑語)」として役所に届け出た。村長が「なぜこんな姓にしたのか」と尋ねたと
ころ、「朝鮮人は姓を変えると“犬の子”“牛の子”などと言って蔑む。わたしは姓を変え
たから、“犬の子”になった」と答えた。また、「天皇族皆殺郎」「昭和亡太郎」などといっ
た名前を付けてもいいのか、と揶揄(やゆ)するハガキを総督府に送った人もいた。

 それでも、子どもの入学や家族の就職、行政機関に書類を提出するときなど、氏名は
生活上のあらゆる事項と関係してくるため、創氏改名に応じないわけにはいかなかった。
「金」姓の人は「金田」「金村」、「李」姓の人は「李家(りのいえ)」といった形で、本来の姓
を残したケースや、「崔」姓の人が字を崩して「佳山(よしやま)」にするといったケースも
あった。自分の姓を何とか残そうという、涙ぐましい努力だった。こうして、6カ月の間に、
仕方なく創氏改名に応じた人は、全人口の80.5%に達した。

 文学評論家の柳宗鎬(ユ・ジョンホ)氏は「日本の支配に抵抗した詩人の尹東柱(ユン・
ドンジュ)が姓を“平沼”に変えたことをどう捉えるべきか」という学生の質問に対し、答え
に窮したという。一方、和信百貨店の社長を務めた朴興植(パク・フンシク)、朝鮮総督府
中枢院顧問の韓相竜(ハン・サンヨン)、衆議院議員を務めた朴春琴(パク・チュングム)、
貴族院議員の尹徳栄(ユン・ドクヨン)など、代表的な親日派だった人物は創氏改名に応
じなかった。姓を変えなかったからといって、「反日」だったとは言えないのと同じように、
姓を変えたからといって、日本の政策に同調した「親日派」と決めつけるのは、あまりにも
単純な考えだ。日本の軍事力を背景とした支配の下、民族史の中で最も暗かった時代を
必死で生き抜いた人々の生きざまを、表面的なものだけで評価することは、それゆえに危
険なことなのだ。


http://www.chosunonline.com/news/20091110000071

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