読みましたけど
結局何が言いたのかわかりませんね。
万世一系を創作ですか。
だって万世一系ですからね。
他に言いようがないでしょうが。
崩ですか。
そもそも、大韓帝国を主権国家と認めてる時点で帝国だから元首は皇帝となるんだよ。
国王じゃないと認めてるだろうが。
皇帝だから死んだら崩御なんだよ。
だから、よその国の墓に何書いてたってどうということないと思いますけどね。
あれはいつだったか。
TBSの報道特集で北朝鮮にある藤かないかで編んだ遺物を北朝鮮がTBSに売りたいから買い手を紹介してくれとか言ってましたね。
それを発掘したのは日本の考古学者で遺物は出土したところにおくのが基本だから朝鮮の博物館に収蔵したのだそうですね。
そんな国が捏造ですか。
アホに付ける薬はないですな。
だから百済は倭に朝貢してたんだと何度言ったら。
朝鮮の好きな広開土王碑文にもそう書いてるだろうがよ。
こう言うときは忘れるんだからな。
困ったもんだよ。
宗主国様もそう言ってるぞ。
朝鮮南部に前方後円墳があるので気が付かんのか。
【歴史】 百済武寧王の「墓誌石」、日本の歴史操作暴く~歴史犯罪集団、日本史学界にとっては原爆に等しい!★2[05/25]
http://img.newdaily.co.kr/data/photos/20120521/art_1337907170.jpg
▲武寧王陵から出てきた「墓誌石」国宝163号。小さな穴の下に見える文字「崩」が日本の歴史
偽造を満天下に暴露した決定的証拠物である。
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▲原形保存のために閉鎖した武寧王陵入口。
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▲韓日古代史最大の発掘、公州武寧王陵内部。
それは偶然だった。すでに41年前の1971年夏7月5日、公州松山里(ソンサンニ)古墳団地で
排水路を掘っていた人夫が土の中から墓の入口を発見したのは天がさせた歴史的偶然だった。
武寧(ムリョン)王陵の発見!韓国の驚きと喜び!それより大きく驚いたのは日本だった。
武寧王とは誰か。日本天皇家の中間始祖という偉大な百済大王、その王陵が発見されたので韓
日古代史を歪曲操作した犯罪が天下にあらわれてしまった。そんな証拠物をなくそうと総力を傾
けたのに!
明治維新以後<天皇万世一系>を創作した日本は韓日併呑をするやいなや総督府に歴史チーム
を結成した。「天皇が韓国系という証拠を隅々まで探して抹消せよ!」歴史記録物数十万冊を押
収して燃やし百済地域の古墳群をあちこち盗掘して行った総督府ではないのか。完全犯罪はない。
総督府調査団は松山里古墳が伝統的な百済形式と違った‘レンガ墓’であることが分かるとすぐ
に「王陵ではない」と発掘を放棄、武寧王陵は日帝のツルハシを避けてそっくり私たちの手で発掘
されたのだ。
遺物4600点余り、現在の国宝と指定されたものだけでも17点になる。その中の核心は墓誌石だ。
瓦の大きさの薄い石に彫られた被葬者説明文!<寧東大将軍、百済斯麻王62才、癸卯年5月7
日崩御。乙巳年8月12日大廟に礼を尽くして左の如く記録する(寧東大将軍百済斯麻王年六十二
歳癸卯年五月丙戌朔七日壬辰崩到乙巳年八月癸酉朔十二日甲申安爀登冠大墓立志如左)>。
武寧王は523年5月に崩御、525年8月王陵に安置され王妃は526年11月臨終、529年2月合
葬した。従来の百済古墳様式と異なる'レンガ式'は両国形式を導入したものという。驚天動地!韓
国ではなく日本に第3の原子爆弾が落ちた。恐ろしい文字「崩」。歴史犯罪集団、日本史学界には
核爆弾!それはなぜだろうか。
誰にでも「崩」を使わないからだ。政治学者で歴史学者、蘇鎮轍(ソ・ジンチォル)氏は彼の本<百
済武寧王の世界>(2008)でこれを詳細に扱っている。かつて孔子は四書の‘礼記’にこのように定
めた。『天子死曰崩、諸侯曰薨、大夫曰卒、士曰不録、庶人曰死』-そして実際に天子が死んだ時
史官に「崩は天王の崩を言う(崩曰天王崩)」と記録を残すように慣例化した。その後、司馬遷は
「史記」に「秦始皇崩、周王薨、孔子卒」とその地位と身分により表記の差別化を定着させた。
これは韓中日3国で長い間の伝統につながり、そのため、武寧王の死を‘崩’と表記した誌石は彼
が天子または天子級であることを証明する決定的証拠物である。ここで'日本書紀‘を広げてみよ
う。日本が誇る最大の史書、しかしいつ誰が編纂したのか不明なままAD720年ごろ書かれたと主
張する「歴史でない歴史書物」が「日本書紀」だ。歴代天皇の即位と没年を記録した書紀は百済王
の即位と没年も共に記録している。いわゆる「神功紀」(三韓征伐女王)を創作しながら天皇の死
は「崩御」と書き、百済王は「薨去」と表記した日本書紀、武寧王も例外でなくて「百済25代斯麻王
(諡号武寧)薨去」だ。
自国の歴史本に隣国百済王の即位-死亡年度を一緒に記録したのも「泥棒は自然と自分の足が
しびれる」(訳注:悪いことをすると気がとがめておどおどしてしまうという意味のことわざ)ことでは
あるが、その上下位置を反対にひっくり返した歴史クーデターに他ならない。この操作を誌石(国
宝163号)で暴露した人が武寧王だ。彼は死んで1400余年ぶりに字一つで日本の偽りを打ちのめ
したのだ。
日帝時代の有名な官学者、末松保和は「百済王の即位と薨去を日本書紀に同時に記録したこと
は百済が日本の属国のため」と主張する。末松は朝鮮総督府に派遣され韓日古代史現場破壊と
改編作業に従事したグループのメンバーだ。‘日本書紀’は執権層が変わるたびに改作されたと
いう主張があり、最も多く歪曲された時期として韓日併呑前後、植民地時代を挙げる。百済-伽揶
等の韓半島の歴史をひっくり返し「日本が古くから韓半島南部を支配した」という公式を作って、百
済王が日本に派遣した属国王のように変身させた暴挙の中心に朝鮮総督府が存在するというこ
とだ。
‘武寧王崩’を記録した誌石を見るとすぐにびっくり仰天した日本史学界はその後、最初から無視
戦略で一貫している。無対応の韓国史学界はまた何をする人々なのか。
中国の土地に分国、百済担魯を置き宋や梁と交流して倭を直轄植民地として支配した‘海洋王国’
全盛期の主役、武寧王!そのレンガ墓様式は両国のものを導入して実用化したものだった。木棺
は倭が送った金松、当時の倭王は武寧王の弟、後に継体天皇という名前を付ける。武寧王は自
身を継いで倭王になった弟に信任状として授けた銅鏡に‘男弟王の長寿を祈って作る’と親筆で
刻んだ。これを日本は百済王が天皇に献上したものと歴史を偽造した。属国王の献上品としなが
ら神社を作って迎えた古い鏡を神聖不可侵の'神物'と持ち上げているのが日本だ。
武寧自身も16才の時、倭王になった。百済大国「天王(チョンワン)」になる前の植民地経営修行
中、彼は父の怨みを晴らそうと切歯腐心した記録を残した。彼の父は蓋鹵王(がいろおう)?それ
とも叔父の昆支?島で生まれた彼の本物の父親は誰か?これを決める証言は武寧が倭王‘武’
だった時、両国に送った上表文に出ている。
「両親兄弟を殺した高句麗に怨みを晴らすよう助けてください。」高句麗、長寿王侵略軍に殺戮さ
れた漢城(ハンソン)百済最後の蓋鹵王の怨みを晴らすから軍事援助をしてほしいという言葉。新
羅の金春秋より200年先立った国際外交術を見せる。
以上
ソース:ニューデリー(韓国語) 死んだ武寧(ムリョン)王、日歴史操作を暴露する
http://www.newdaily.co.kr/news/article.html?no=114091
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