アジアが動くかもしれませんよ
この判決は大きな意味を持っていますね。
大法院判決は差し戻しですよね、だから判決は確定してはいないんでしょう。
差し戻し審で認めることになるでしょうけど、そうなるといろいろありそうですよ。
まず韓国内で日本企業に資産が差し押さえされることになりますわな。
ところが日韓基本条約を有効とする日本政府は韓国政府に対して何も要求できませんからね。
だとすると日韓基本条約の破棄にいたるのは必定でしょうからね。
韓国政府はこのままのほうが、国としても得だと言うことがよくわかっているはずですからね。
韓国内どころか基本条約では北朝鮮の分まで金貰ってるんですからね。
韓国側は日本の残した資産はすべてただで貰えたんですから。
しかし、基本条約が破棄されれば日本政府の請求額でも少なく見積もっては6兆円と言われていますからね。
個人や企業を含めたら数十兆円になるのは間違いないですからね。
韓国政府にしたら裁判所はアホかと思ってるでしょうね。
大体、収奪だとか被害者だとか国が教えたからね。
国民は本気でそう思い込んでるんでしょうな。
だから日本から金を取れると。
しかし上で書いたとおり逆ですよ。
韓国政府は数十兆円の賠償をしないといけなくなるからね。
内の親戚の場合は20億円でいいですよ。
負けときます。
でもまあ、この爺さんも嘘が多いね。
話は大きいほど面白いしね、講釈師見てきたような嘘をいいですか。
12時間の肉体労働でおにぎり一個では死にますがな。
戦後に配給だけしか食べなかった判事さんは餓死してますがな。
徴用って昭和20年じゃなかったかな。
早かったんだな。
大体大日本帝国に空軍はないし、神風特攻隊はね戦闘機の操縦が出来ないといけないんですよ。
どう考えても車の運転さえ出来ないだろう朝鮮人に何ヶ月もかけて飛行機の訓練する必要があるのかと。
給料を貰えなかったのに未払い賃金てあなた。
頭おかしいのか。
未払い賃金があるなら供託されているかもしれませんから法務局で調べてみるべきでしょうね。
供託されていたら賃金はそれまでは払われていたことになりますわな。
この爺さんを国会に証人として喚問したらいいですよ。
証人喚問なら偽証すれば刑事罰の対象になりますから。
まあ、絶対出てくることはないでしょうけどね。
呼んでも出てこないことを韓国に知らせることが重要ですな。
良心的日本人ね。
その良心的日本人がどこまでを想定したかですね。
同じく良心勢力の朝日同様日韓国交断絶まで考えていたんでしょうか。
それなら目的は達成できる可能性は高まってきたけど、果たして日本の国会に証人として喚問されるまで想定してたかですよね。
証人喚問されたら今までの嘘が白日の下にね。
条約の破棄まで行き着くことになりますから、嘘は徹底的に追及されますからね。
靖国裁判で高裁の左翼の判事の感想文を引き出したら目的は果たしますから、上告しないのと同じですな。
でも行っちゃったから。
パンドラの壷の蓋を開けちゃったわけで。
あ、正しくは箱じゃなく壷ですから。
日本の政府も企業も個人も賠償の請求が出来るようになりますからね。
日本国民は嘘でもいいから張り切って請求しましょう。
【日韓】強制徴用被害者が語る~2年間の地獄…67年間の恨(ハン)…15年間の法廷闘争…やっと光が[05/25]
∞2年間の地獄…67年間の恨(ハン)…15年間の法廷闘争…やっと光が
∞日本製鉄強制徴用 被害者 86才 シン・チョンス氏の話
∞17才で金を稼ぎに行ったそこでは
∞12時間の肉体労働ににぎり飯一つ
∞徴用であったし、月給はなかった
∞70を過ぎて法廷闘争を始め
∞‘良心的日本人’らの支援で
∞韓日を行き来して戦ってまた戦って
初勝利の便りに "気分が良い"
"戦える限り戦う、途中で逝くことがあっても…"
「日本の製鉄所に労務者として行ってくれば、韓国の製鉄所で技術者にしてくれるらしい」 と友人が
話した。 耳をそばだてた。 その時、シン・チョンス(86)氏は17才だった。 故郷の全南(チョンナム)長城
(チャンソン)を離れ、ソウルで日本人が経営する酒場の従業員をしながら苦労して金を稼いでいた時
期だった。 両親と6人の兄弟姉妹で口減らしのために長男であるシン氏は早く独立しなければならな
かった。 「技術を学べば後で良い生活ができると考えたんだね。」
1943年9月10日大阪、日本製鉄工場でシン氏は凄惨な強制労働を始めた。‘就職’ではなく‘徴用’
だったという事実は後から知った。工場に到着すると日本巡査が‘徴用状’を差し出した。「逃げて
捕まれば身体が動かなくさせる」と工場に配置された巡査が脅した。
まだ幼かったシン氏は巡査の脅しより空腹がもっと辛かった。 「一日ににぎり飯一つだけで重労働
をさせたんだよ。腹が減ってたまらなかった。」 シン氏は溶鉱炉に燃料を供給する配管を清掃してい
た。 配管の中の熱気で肉が真っ赤に腫れ上がった。 唾を吐けば真っ黒なススが混じって出た。
一日12時間ずつ働いた。 腹は減り仕事をしても金は受け取れなかった。 月給を貯金してあるとい
う通帳は一度も見ることができなかった。
強制労働は強制徴兵につながった。 1944年のある日、突然身体検査を受けたが空軍服務判定が
出た。 太平洋戦争の末期だった。 「それが私に‘神風’(自殺特攻隊)として出て行けという話だった。」
そのままいれば否応無く軍隊に連行されそうだったので工場から逃げた。 すぐに捕まった。 日本巡
査の脅しは嘘ではなかった。「死ぬ一歩手前まで木剣で袋叩きにされた。その苦痛は口では言えな
い。」 1945年6月、米軍の爆撃で大阪工場が焼け、日本製鉄は韓国人労務者を中国、天津工場に
移した。 強制労働は続いた。 そうしていると8月13日の出勤途中に日本憲兵が出てきて「ソ連軍が
上陸した」と大声を張り上げた。 皆ちりぢりになって逃げた。昼夜歩きとおして汽車の屋根に乗った。
汽車の煙突の熱気で髪も眉毛もみな焼けた。
三日後にソウルに到着した。 8月16日だった。 その時初めて光復(解放)の消息を聞いた。 月給を
受け取らなければと思った。「大切な青春を戦争のために連行されて行き血と骨を捧げて稼いだ金」
を手にしたかった。 南大門市場(ナムデムンシジャン)にあった日本製鉄の出張所を訪ねて行った。
誰もいなかった。 日本人たちは皆荷物をまとめて日本に戻ってしまっていた。
1949年、軍に入隊したシン氏は韓国戦争途中で砲弾の破片に当たり左手を負傷した。 今も左手
は開けない。 除隊後には釜山にある米軍部隊の構内食堂で働いた。 大田(テジョン)駅前でリヤカー
を引きパン売りもした。 さらに歳を取ってからはゲームセンターも構えてみたし、カラオケも営んで
みた。 一生の間シン氏の人生は安らかではなかった。
17の少年が70の老人になっても恨は解けなかった。 1997年シン氏とともに日本製鉄に強制徴用
されたヨ・ウンテク(89)氏の誘いで法廷闘争を始めた。 日本の良心的知識人・活動家が‘日本製鉄
徴用工裁判支援会’を作りお金を集めた。日本、大阪地方裁判所に訴訟を初めて提起した後、一年
に三回ずつ日本を行き来した。 日本の地で街頭デモもした。 だが、地裁・高裁はもちろん日本最高
裁判所までがシン氏を無視した。 「目の前が真っ暗になりましたね。 腹が立って法廷で小競合いま
でした。」
若き日の彼を無理やり働かせた新日本製鉄本社にも訪ねて行った。 「一度話をする機会をくれ」
と繰り返し頼んだが、会社への出入りさえ冷たく拒否した。 そんな事情は10万人余りの朝鮮人徴用
者を強制動員した三菱重工業も同じだった。 「すでに裁判も終わった。補償問題は考えていない」
として傲慢に相対した。シン氏は他の被害者とともにわびしい悲嘆を噛みしめた。
韓国政府に視線を転じたのはその頃だ。 「このような私たちをなぜ黙って見てばかりいるのか」
くやしくて2005年ソウル中央地裁に訴訟を起こした。 韓国裁判所でも1・2審と敗訴判決が続いた。
国内訴訟は法務法人‘ヘマル’が後援した。 24日の韓国最高裁判決はシン氏が手にした初勝利だ。
「勝ったという知らせを聞いて涙が出尽くしたよ。」ソウル、松坡区(ソンパグ)の自宅で判決の知ら
せを聞いたシン氏の声が17才の少年のように浮き立っていた。
しかし実際に補償を受けるまでには今後どれほどの時間がかかるかは分からない。「戦える限り
戦わなければ。途中で逝くことがあっても…」シン氏の自宅居間には日本人後援者がハングルで
書いた激励文面が額縁に納められ懸かっていた。 “勝利のその日まで。”
(終わり)
ソース:ハンギョレ・サランバン 2012年05月25日11:41
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1629948.html
画像:年表
http://livedoor.blogimg.jp/hangyoreh/imgs/f/c/fced2836.jpg
画像:日帝強制徴用被害者であるシン・チョンス氏が24日午後ソウル、松坡区(ソンパグ)、風納洞(プンナプトン)
の自宅で日本人後援者が書いた激励文面が入れられた額縁を持ち上げて見せながら明るく笑っている。
http://livedoor.blogimg.jp/hangyoreh/imgs/b/0/b0eb9860-s.jpg
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