一事が万事
これですがな。
記事を読んでいただければわかるでしょうけどね。
「漫画家と我々の社会全てが被害者だ」と。
オイオイいつもこれですよ。
なんでも自分たちが被害者ですよ。
いいですか皆さん、パクられたのは日本なんですよ。
被害者はパクられた日本の作家であり出版社だろうがよ。
相手が日本ならとにかくすべて自分が被害者だからね。
このほかにもイチゴなんかがいい例でしょうね。
イチゴを勝手に栽培して日本へ輸出までしてるんですよ。
日本産の品種通しを掛け合わせて新品種だから日本に特許料を払う必要はないと。
オイオイ、今までも特許料は払ってないだろうがよ。
一事が万事これですよ。
日本人は人がいいからね。
世界中の人がそういってますよ。
よかったねお人よしの国が隣にあって。
大赤字でも収奪だといって謝罪と賠償だからね。
国交樹立のときに5億ドルだからね。
アホか。
アメリカがせっつくから仕方なく国交開いたんだよね。
それでなければ付き合ったりしないよ。
さて、話変わって竜巻ですけどね。
短絡的に温暖化と結びつけるのはどうかと思いますけどね。
私の人生で初めてじゃないでしょうかね。竜巻であれほどの被害が出たのは。
ついに原子力発電所がすべて運転を停止しました。
温暖化のことは今日本国にはまったく存在していません。
世界はそうじゃないにしても石油や石炭天然ガスの消費は伸びていますから温暖化ガスは今も放出されているわけですな。
これからは間違いなく洪水と旱魃が頻発しますよ。
そして竜巻も。
しかし、誤解があるんでしょうかね、発電すると危険で停止していると安全みたいに思ってるんでしょうかね。
原子力発電は運転していても停止していても基本的には危険性は同じなんですね。
運転中に何かあれば緊急停止して冷却も行われるんですけどね。
停止中でも燃料が入ってますから温度の差はあっても基本的には同じなんですよ。
爆発するまで一日か二日くらいの差ではないかと。
やめるなら原子炉から核燃料を取り出さないといけませんよ。
燃料を入れたままなら運転したほうが金になるんだからいいんじゃないかと。
【韓国】「Kコミック、新韓流を導く」~1970~80年代の漫画(マンファ)を語る★2[05/07]
(写真)
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1970年代、我々の漫画(マンファ)は残酷な試練のトンネルを通らなければならなかった。朴正煕(パク・
ジョンフィ)軍事政権の検閲と『新村(シンチョン)大統領』の合同文化社の独占、有害物と判断する社会的
認識などが漫画の健全な発展を妨げた。しかし酷寒の中でも春を呼ぶ芽は新芽を開かせていた。週刊誌
や新聞連載など、新たな突破口の基盤が用意され、子どもではなく大人のためのマンガ文化が本格的に
胎動していた。結局1980年代に入って子ども・成人・純情マンガ雑誌が押し寄せ、韓国漫画は今の『ルネ
サンス』を迎える事になる。
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「1970年代も検閲が酷かった。部分修正、全面修正、廃棄があって、無事通過は殆ど無かった。作家は
漫画を上手く描くより検閲を逃れる方法を研究する事に忙しかった。合同文化社体制も作家を締め付けた。
人気作家が気に入らなければ名前が似ている作家を作り、類似作品を描かせるケースも多かった。創作
分量を強制的に割り当てしたりもした。出版社が作り上げた幽霊作家の作品を代わりに描かなければ
ならない不思議な搾取構造があった」(キム・ヒョンベ)
■ マンガに加えられた軍事政権の焚書坑儒
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社会的に漫画が冷遇を受ける状況は1970年代にも大きく変わらなかった。子ども・青少年問題が起きる
度に漫画はいつも一番に袋叩きを受けた。毎年子どもの日には南山(ナムサン)や東大門(トンデムン)
運動場で不良漫画を集めて燃やす行事が行われた。 漫画関連で特に忘れられない事件は、1972年の
1月末に起きた『不良漫画波動(ウエーブ)』だった。ソウルのある小学6年生が事故で死亡する事件が
発生した。軍事政権とメディアは、「子どもが漫画本の内容を真似て死亡した」とし、ありえない場所に
集中砲火を浴びせた。特別取り締まりが開始され、警察は各所の漫画喫茶を急襲して数万冊の漫画本
を廃棄処分した。その年の10月、朴正煕大統領は維新を宣布した。
「教育界全体が漫画に敵意を持ったと言っても過言ではない。全く検証もされずに全ての問題が漫画
から始まっているという見方が広まった。しかし現在、30~40代の私のオールドファンの中で子どもの頃
に漫画を読んで誤ったという話は聞いた事が無い」(キム・ヒョンベ)
■ 新しいマンガの通路, 雑誌
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1960年代、漫画喫茶中心の文化は1970年代に入り大きな変化を迎える。まさに漫画雑誌の拡散だった。
この時期に子ども雑誌に掲載された漫画は以前と違って息が長くなった。1960年代の中・後半に創刊
された『新少年(セソニョン)』、『肩組み(オケドンム)』、『少年中央(ソニョンジュンアン)』などがその中心
だった。カラーページを取り入れてマンガのボリュームを大幅に増やしたのだ。特に肩組みは1972年、
史上初の別冊付録、『オバケの敢闘(シン・ムンス)』を挟んだ。本紙に連載した漫画は7ページ前後だっ
たが、オバケの敢闘は60ページにもなった。子ども雑誌の躍進は書店用の単行本漫画文庫の登場に
繋がった。代表的なのは新青年を発行していた語文閣の『クローバ文庫』だ。1972年から約12年間、
429冊が出版されて一時代を風靡した。 この中389冊が漫画だった。
■ 韓国漫画の暗い過去、盗作
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クローバ文庫はその一方で、日本漫画の盗作という恥ずかしい過去を持っている。文庫の初作品である
『ガラスの城(ソン・ヤンスク)』と最高のヒット作である『バビル2世(キム・ドンミョン)』 など、かなり多くが
日本作品のコピーだった。実は日本漫画の盗作は歴史が古かった。1952年の朝鮮戦争当時に爆発的
な人気を呼んだ『密林の王子(ソ・ボンジェ)』を初の盗作事例と見なす。1951年に登場した日本作品
『少年ケニア』をそのまま移した作品だ。
その後も日本漫画の盗作およびコピー作品が人気を呼ぶ事例が絶えず続いた。バビル2世の人気の
ため、紆余曲折の末に『バビル3世』を描かなければならなかったキム・ヒョンベ画伯は次のように語る。
(写真)
http://imgnews.naver.com/image/081/2012/05/07/1336325607.640998_SSI_20120506174549_V.jpg
「日本漫画盗作問題で既成作家の大部分は自由ではない。我々の社会が漫画を創作品ではなく消耗品
と考えるなど、漫画に対する理解が不足していた結果だ。出版業者は金儲けに汲々として作家にコピー
を強要した。作家は生活のため泣く泣くやらなければいけなかった。 漫画家と我々の社会全てが
被害者だ」
■ 1970年代の収穫、成人漫画
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雑誌文化の発達は成人漫画時代を開放した。1968年に成人週刊誌『サンデーソウル』、1970年に国内
初のスポーツ新聞『日刊スポーツ』が創刊された。1970年代の大衆文化を象徴するこの媒体は成人
漫画時代を開いた双頭馬車だ。
日刊スポーツの場合、1972年 の『林巨正(イム・コクジョン)』、『水滸誌(スホジ)』など、コ・ウヨンの劇画
掲載を開始、その年2万部に過ぎなかった発行部数が1975年には30万部に増えた。サンデーソウルは
1974年にパク・スドンの『支石墓(コインドル)』を掲載し、成人漫画の人気に火をつけた。サンデーソウル
の成功で各種の週刊誌が出る事になり、カン・チョルスが『週刊女性』に『青春の落書き』を連載して成人
漫画ブームを手伝った。新聞や雑誌も審議で自由ではなかったが、子ども漫画や貸し漫画、漫画部屋
用よりは相対的に自律性を受ける事がができ、成人漫画の活性化に大きな役割をした。しかしその後
成人漫画も単行本で出版される過程で大々的な修正、削除措置を受けなければならなかった。
■ 韓国漫画ルネサンスの象徴、宝物島
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1982年10月、記念碑的な出来事があった。子ども漫画月刊誌『宝物島』が創刊されたのだ。ひたすら
漫画だけが載せられた。以前とは次元が違う漫画雑誌だった。商業的にも大成功を収めた。イ・ヒョンセ、
ホ・ヨンマン、キム・スジョンなど数多の人気作家が作品を連載した。ところが宝物島を発刊したのが
育英(ユクヨン)財団という点が意味深である。育英財団は朴正煕夫人の陸英修(ユク・ヨンス)が設立
した。宝物島が創刊された日、朴槿恵(パク・グンヘ=現セヌリ党非常対策委員長)が理事長として就任
した。漫画に暗黒期をもたらした大統領の娘が我々の漫画ルネサンスの道しるべを立てたという点は
皮肉としか言いようがない。
以降、1985年『漫画広場』、1987年『週刊漫画』、1988年『マンガ世界』と『毎週漫画』が出るなど、1980
年代中盤以降成人雑誌が相次いで創刊されて漫画の全盛時代が開かれる。しかし零細な拙速低質
漫画雑誌が出てくる副作用を生んだりした。1988年『I.Qジャンプ』、1991年『少年チャンプ』など日本式の
体系をそのまま移植した雑誌が続き、我々の漫画雑誌は再び変化に合ってしまう。
1970年代に子ども雑誌の強気に助けられて明朗マンガが目立つとすれば、1980年代はジャンルを
問わず長編劇画が大きな流れを形成する。純情マンガもまた跳躍期を迎える。キム・ドンファ、ハン・
スンウォン、ファン・ミナらが先に地平を広げた。 引き続き長編叙事メロー物を前面に出したキム・ヘリン、
カン・ギョンオク、キム・ジン、シン・イルスクなどが傑作を大挙公開した。特に1988年11月、純情マンガ
月刊誌 『ルネサンス」が創刊されて純情マンガの花は一気に満開となる。
「1980年代に入って漫画家がデビューして作品を発表する媒体がかなり多様になり、我々の漫画が
頂点を成した。子ども雑誌とスポーツ新聞などが大役を果たした」(キム・ヒョンベ)
おしまい☆
ソース:NAVER/ソウル新聞(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=081&aid=0002275634
★1投稿日: 2012/05/07(月) 11:56:35.56
【韓国】「Kコミック、新韓流を導く」~1970~80年代の漫画(マンファ)を語る[05/07]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1336359395/l50
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