2012年4月17日火曜日

朝鮮人の鑑ですな

朝鮮日報と下に日本の毎日新聞の記事を貼ってあります。
毎日は簡単にしか書いてありませんな。

1948年ですから昭和23年ですな。
ってことは密入国ですな。
そのときは韓国では左右の対立なんかがたくさんありましたし、政府による虐殺なんかもありましたからね。
その2年後に朝鮮戦争が始まってますから良いときに逃げてきたんですな。
その後帰国はなく。
居座ったわけですな。
しかし、何でこんなのを追い返しもしないのかと。
戦後共産党が輝いて見えていたときに左翼になったものは多かったのですが朝鮮人なんかは北朝鮮を見て幻滅したものが多かったんですな。
幻滅の共和国なんて本も在日朝鮮人が書いてますからね。
日本人では、プラハの春事件やハンガリー動乱なんかですか。
その後が本番ですな。
南北統一を果たしたベトナムでは、華僑への迫害に怒った中国がベトナムへ攻め込みましたからね。
平等を胸とした人民解放軍では指揮命令系統がはっきりせずベトナム相手に大苦戦したんですな。
その後、階級ができましたけど。
ポルポトによる大虐殺の報道が出てくるようになり大躍進や文化大革命への絶賛が嘘であることがわかり始めましたしね。
ソ連崩壊後にルーマニアの惨状が明らかになることで多くの左翼は息の根を止められる羽目に。
その同じ時期にソ連の公文書が一部公開されたことで朝鮮戦争が北による侵略戦争だったことが明らかに。
おかげでそれまでよくテレビに出ていた学者先生達を見なくなりましたが。

朝鮮人の鑑ですよ。
密入国しても最後まで置いてくれて大学名誉教授になでしてくれた日本への感謝はないのかな。
アン。
要するに朝鮮に都合のよいように歴史を書き換えようとしたと。
まさしく朝鮮人の鑑ですな。
朝鮮を正義とするためなら嘘は容認されるんですから。



訃報:李進熙教授82歳=広開土王碑文変造説を主唱
在日韓国人の歴史学者、和光大学名誉教授

任那日本府説を揺さぶる発表で韓日歴史学界に論争を起こす

李進熙教授
 日本による高句麗・広開土王(好太王)碑文変造説を提起した在日韓国人の歴史学者、李進熙(イ・ジンヒ)和光大学名誉教授(82)=写真=が15日、肺がんのため死去した。16日に日本メディアが報じた。

 慶尚南道金海で生まれ、1948年に日本へ渡った李教授は明治大学史学科を卒業後、古代韓日関係史の研究に身を投じた。大学で韓日古代史を研究・講義する傍ら、季刊『三千里』の編集長として韓国の文化・歴史を紹介し、また在日韓国人に対する差別を告発した。

 李教授は、明治時代に陸軍参謀本部の酒匂景信大尉が広開土王碑を発見した後に入手したという拓本や、その後に発見された数十種類の広開土王碑の拓本を比較・対照し、日本の軍部が広開土王碑の碑文を変造したという主張を提起、韓日歴史学界に激震をもたらした。日本が、広開土王碑文の損われた部分に石灰を塗り、新たに字を彫って碑文を変造したが、日本の歴史学界はこうした事実を知りながらも歴史を歪曲(わいきょく)した、という内容だった。

 こうした主張をつづった論文「広開土王陵碑文の謎」が1972年に発表されると、韓日歴史学界は大きな衝撃に見舞われた。また李教授は、広開土王碑の検証を通じ「日本の大和政権が西暦4世紀後半に韓半島(朝鮮半島)を攻撃して百済と新羅を征伐し、2世紀にわたって韓半島南部を支配した」という任那日本府説の根拠を根底から揺さぶり、韓日歴史学界に熱い論争を巻き起こした。

 李教授は夫人と共に、かつては在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に所属していたが、その後、韓国の国籍を取得した学者としても知られている。李教授は朝鮮総連系の朝鮮高級学校や朝鮮大学校の教壇に立ったが、71年に朝鮮大学校を退職。初の著書『朝鮮文化と日本』をめぐり、朝鮮総連系は無慈悲な「思想批判」を行っただけでなく、出版を阻止しようとした。李教授は悩んだ末に朝鮮大学校を退いて朝鮮総連とも決別し、84年に韓国国籍を取得した。在日2世で8歳年下の妻・呉文子(オ・ムンジャ)さんも、元々は朝鮮総連系だった。朝鮮総連の幹部として活動していた父親が、訪朝後に幻滅して北朝鮮の体制を告発する本を出版すると、父親と10年間も連絡を絶つほど、呉さんもまた思想が透徹していた人物だった。しかし、夫と共に思想的に転向した呉さんは後に、父親への謝罪を込めた自伝的エッセーを出版した。李教授は主に『朝鮮文化と日本』『広開土王陵碑の研究』『江戸時代の朝鮮通信使』などの著書があるほか、自身の半生と韓日現代史を盛り込んだ『海峡』も執筆した。


金翰秀(キム・ハンス)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版



【訃報】 「広開土大王碑文、日本軍改ざん説」提唱した考古学者、李進熙(イ・ジンヒ)和光大名誉教授 [04/16]

 李進熙さん82歳(イ・ジンヒ=考古学者、和光大名誉教授)15日、肺がんのため死去。葬儀は
近親者のみで行う。喪主は長男明浩(ミョンホ)さん。

 韓国慶尚南道出身の在日1世。古代日朝関係史研究の先駆けとして、好太王碑文や拓本の編
年を行った。好太王碑文については、旧日本陸軍が、4世紀末に倭(当時の日本)が朝鮮半島に
進攻したように改ざんしたとする説を唱えた。

 著書に「広開土王陵碑の研究」「日本文化と朝鮮」「江戸時代の朝鮮通信使」など。

ソース:毎日JP<訃報:李進熙さん82歳=考古学者、和光大名誉教授>
http://mainichi.jp/select/news/20120417k0000m060046000c.html

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