朝鮮人にはこんな妄想が多く出るのでしょうか。
私も以前は東アジアで最大の文明国は中国ですからその隣の朝鮮を通って多くの文明文化が入ってきたと思っていたんですけどね。
私がそう勘違いしていたくらいですから、朝鮮人がそう確信しても不思議はないんですね。
ただね、いろいろな事を知るにいたり。
日本人は賢いなと思うようになったんですね。
例えばですよ。
日本の稲作はいつからかといいますと、なんと6000年前からなんですね。
稲の原産地といわれている雲南でも4000年なんですね。
昔はね、水田の跡がないから弥生時代が始めなんていってたましたが、遺跡から6000年前も炭化米が出土するようになって分かったわけですね。
つまり焼畑でやっていたと。
焼畑は今でも東南アジアでやってますよ。
併合までの朝鮮では焼畑じゃないけど焼畑に近い農業だったんですね。
朝鮮人には抜きがたく自分達の方が先進だっととの思い込みがありますからね。
違いますから、南北を問わず今の朝鮮の稲作も日本が教えたものですからね。
あの田植え機だって日本人が作ったものなんですよ。
前にも書いたけど縄文時代にはすでに早稲が植えられていたんです。
だから青森でも稲作が出来たわけですね。
朝鮮に早稲なんかないですよ。
早稲品種は温帯ジョポニカと熱帯ジョポニカを掛け合わせないと出来ないのです。
それを2000年も前にやってたんですから。
今日本が先進国になったのはある意味当然だと思うのです。
話が逸れましたね。
本題に返しますと。
室谷克実さんの「日韓がタブーにする半島の歴史」を読めばわかります。
これは私の考えですけど、簡単に説明すると前方後円墳ですね。
最初半島南部で前方後円墳が発掘された時に韓国人は狂喜したのです。
日本独自だと思われていた前方後円墳が韓国にあったのだから韓国が起源だと。
ところが日本より新しい事がわかり埋め戻したんですね。
いいですか皆さん、日本より古ければ朝鮮半島から日本に広まったと言えますけど話しが逆なんですから。
話が逆という事は日本が起源で半島に広まったという事です。
つまり日本で生まれて半島に広まったのに何でそれが半島が日本を統治した事になるのか。
話は逆でしょ。
「三国史記は操作された」と書いていますけど。
いったい誰が操作するんでしょうね。
高麗時代に書かれたものなんですよ。
26年何を研究したのか。
大いなる無駄ですな。
始めに結論ありきか。
【日韓歴史】 「古代日本は韓国の直轄領土」~古代韓日関係史研究26年、老学者の執念・チェ・ジェソク高麗大名誉教授★4[02/27]
http://www.ekgib.com/news/photo/201102/467206_378741_1238.jpg
▲26年間古代韓日関係史研究を通じて「古代日本は韓国の直轄領土であった」と力説するチェ・ ジェソク(85)高麗大名誉教授。
25日午後3時京畿道城南市盆唐区九美洞住民センター3階大会議室で洋服姿のある老教授が
熱弁をふるっていた。講義のタイトルは「古代韓日関係とその後の状況変化」。堅い主題にもかか
わらず3.1節を控えて教師、警察官、主婦など多様な職業の聴衆100人余りが傾聴した。
この日の講師はチェ・ジェソク(85.文学博士)高麗大名誉教授。家族制度史を専攻した彼は1985年
頃、家族制度史の先行研究を調べている時、「三国史記は操作された」と主張する日本史学者が
意外に多い事実に注目した。
その後、彼は日本の最も古い正史である「日本書紀」研究に没頭し、過去26年間150編の論文と
これをまとめた11編の古代韓日関係研究書を出した。これら論文の相当数は「○○○○の日本
古代史論批判」のように日本史学者の主張を資料を根拠にして反論した内容だ。
古代韓日関係史研究を通じて彼は「古代日本は韓国の直轄領土であった」と主張する。
彼は「オーストラリアが英国の地名を取ったように、日本の様々な都市の27種類の地名、すなわ
ち橋、寺、山、渡し場、港、峠、野原、貯水池、島などの地名が百済、高句麗、新羅、伽揶の地名
を使った」として自分の論文を広げて説明した。
彼は「古代日本は航海術が未発達で新羅送使を経てこそ中国に行くことができたし、7世紀末ヤ
マトウェ(大和倭)の領域は独立国を維持するにはあまりにも狭いいくつか郡を合わせた程度であ
った」と力説した。
また、百済の武寧(ムリョン)王(501~553)が二将軍と五経博士を派遣して日本を経営し、聖王
(523~553)は日本に百済仏教を布教しながら14回にかけて百済の官吏を派遣したとし、こういう
官吏派遣は威徳王(554~597)まで続いたということだ。進んで百済が日本(大和倭)で徴集した軍
隊・人夫と徴収した物品を徴収したという記録、百済本土で大和倭から後退した将軍らが構築した
百済山城、法隆寺の仏像製作経緯なども説明した。
彼は「日本には良心的な史学者もいる」としながら石渡信一郎の著書(百済から到来した応神天
皇)を提示した。彼は「日本は騎馬民族の成立を説明しながら韓国に対する言及なしに'北方民族
が韓半島を通過して日本を支配した'とあやふやにした部分をひっくり返す研究書」と評価した。
それと共に韓国の高校国史教科書を取り出し「日本に渡った私たちの文化」単元を示して「どうし
て文化だけ単純に渡っていった、と記述できるのか」と興奮を隠せなかった。彼は「これまで歴史学
報、進学学報、韓国史研究など3大学会誌に論文を送ったがのらなかった。社会学者の浮気を
主流史学界が冷遇した」と主張した。彼の論文は「韓国学報」という小さな学術誌に主に載せられた。
彼はこのような功労で2005年、三日文化財団があたえる「3.1文学賞学術賞(人文.社会科学部門)」
を受賞した。彼の研究論文は来月英文版(Ancient Korea-Japan Relation and the Nihonshoki)が製
作されて英国で発行される予定だ。
ソース:(韓国語) 古代韓日関係史研究26年..老学者の執念チェ・ジェソク高麗大名誉教授
http://www.ekgib.com/news/articleView.html?idxno=467206
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