2011年12月4日日曜日

議論の余地はない

日帝時代のものをすべて廃棄するならほぼ全て廃棄しないといけないよ。
朝鮮文字で書いてるとわかりませんけどね。
漢字で書くと一目瞭然ですよ。
南北がほぼ同時に朝鮮文字のみになったのはそれがあるのかなと。
漢字だと丸わかりですからね。

朝鮮人が自分たちは大したものだったと思いたいのはわかるんですよ。
でもね、それは間違いですから。
事実は事実として受け止めてもらわないとね。

宮殿の名前だけじゃないんだから日本語は全て排除しないとね。
そうなりゃ見ものですよ。

すべてなんだから。
それにきづいてないんでしょうかね。
漢字語なんて言ってるから中国語と思ってるんでしょうか。
中国の使ってるのも日本語ですがな。


【韓国歴史】「徳寿宮」の名称 日帝残滓 vs 違う 「攻防」[12/02]

2日の公聴会で賛否両論拮抗
(ソウル=聯合ニュース)ファンユンジョン記者=

史蹟124号の徳寿宮(トクスグン)。
その名は果たして日帝残滓なのか? もし、残滓だとするならば名称を変更する必要があるのか?
変える場合は、元の名前である慶運宮(キョンウングン)に戻すべきか?

この問題を巡る激しい攻防が2日午後、国立故宮博物館の大講堂で行われた。
文化財庁が主催したこの席では、名称変更を主張する側と維持を主張する側の双方、各1名ずつの学
界専門家が代表として出て問題提起をし、これを念頭に両陣営に分かれた討論者8名が激しい討論を
繰り広げた。
問題提起は、ホン・スンミン明智大教授とイ・ミンウォン圓光大教授が引き受けた。

ホン教授は「私たちの宮廷の話」というベストセラー本を通じ、既に徳寿宮の名称を慶運宮に戻さな
ければならないという主張をしている。この日の公聴会では「大韓帝国の宮廷慶運宮」というタイトルの
提案文を使用して、既説を更に学術的に補強する根拠を打ち出した。
彼の主張は、要するに、徳寿宮は日本の侵略の残滓なので、慶運宮に戻すべきだということだ。
ホン教授は「徳寿宮と呼ばれた時代、特に高宗の死後には建物や敷地が削られ、本来の建物も取り壊
され異質な西洋建築が取って代わり、歪曲され破壊され変形している」として「徳寿宮という名前には、
国を奪われた皇帝の鬱憤、亡国の歴史、植民地支配の痕跡が残るものの、現在もそれを使い続けて
いるのは、光復後の無原則で無能な文化遺産の管理政策を再確認するものでしかない」と主張した。
従って、「慶運宮という名前を回復する事により、大韓帝国光武年間の歴史、外国勢力に囲まれ圧迫を
受けながら跳ね除けようと力を尽くしていた高宗とその時代の人々、彼らの生き様を描くことになる」と
付け加えた。
彼のこうした主張を要約すれば「当初は大韓帝国の正宮ともいうべき宮殿であった慶運宮が、ハーグ
特使派遣をきっかけに皇帝の座から強制退位させられた高宗が留まるようになり、地位を下げられ徳
寿宮に改名されたため、元の名前である慶運宮に戻し亡国の歴史を正さなければならない」という意味だ。

だが、大韓帝国史専攻のイ・ミンウォン教授は、「歴史の中の徳寿宮と、現在の意味」という問題提起を
介してこのような主張に反論した。
この教授は「皇帝の座から退いた高宗の居城となった慶運宮に、新たに徳寿宮という名を付けたのは
純宗皇帝と彼の臣下であり、しかも、徳寿宮という名称には『純宗と臣下が大皇帝である高宗を奉じ
迎える』という意味が込められている」と主張した。
この教授は更に「慶運宮の歴史が300年だというが、実は王宮として機能し、その名で呼ばれた期間は
壬辰倭乱直後の30年間(1594-1623)と高宗当時の約10年(1897-1907)を合わせた40年前後に過ぎ
ない」と指摘した。
同教授はまた「これらの事実を踏まえると、都合100年以上は徳寿宮と呼ばれている歴史の方が長く
ないか」と反問した。
名前を慶運宮に変更するのは、徳寿宮の歴史100年を含むため難しいことなどを挙げ、名称変更に
反対の意見を明らかにした。

発表に続き、李泰鎮(イ・テジン)国史編纂委員長やギム・ジョンドン文化財委員を始めとする各界の
専門家8人が総合討論を行なった。
イ委員長は、徳寿宮が朝鮮時代には退位した王が起居する宮殿の一般的な呼称であることを認め
ながらも、「徳寿宮は、(その主人である高宗が)他界した後は、使用してはならない宮殿となった」と
主張した。
一方、ギム委員は「今は徳寿宮の名前を変える時期ではなく、名分論に基づいて名前だけ変更するべ
きでもない」として、「徳寿宮の敷地を復元することこそが我々がしなければならないことだ」と強調した。
文化財庁は今回の公聴会の結果等を踏まえ、この案件を文化財委員会の審議に送る予定だ。

一方、今年の9月19日から26日に、文化財庁がこの問題に関するアンケート調査を国民を対象に実施
した結果、応募した3800人のうち、徳寿宮の維持の方が914人(30.4%)、慶運宮への変更が2015人
(67% )となった。
しかし、ファン・ピョンウ韓国文化遺産政策研究所長は「慶運宮に変えなければならないという最も
重要な論拠である(徳寿宮という名称が)日帝残滓だという主張が今回の討論会で根拠を失っただけ
に、名称を変更する理由も無くなり文化財委員会の審議に送る理由も消えてしまった」と話した。


聯合ニュース/韓国語(2011/12/02 20:22)
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2011/12/02/0901000000AKR20111202180151005.HTML

0 件のコメント:

コメントを投稿