2011年12月1日木曜日

何事も

経済が基本ですな。
そう思います。
日本と友好関係にあったナチスドイツは日中戦争の時にも国民党に武器を売っていたんですから。
ヒトラー曰く「日本にばれるまで武器は売り続けろ」
そして先の対戦中にもドイツは外国と貿易をしていたんですよ。
スイスを通じてですけどね。
先の大戦で最も利益を得たのはほかでもないスイスでした。
スイス人は言います。
「われわれは賢く振舞ったのだ」と。
確かに賢かったのでしょう。
それに引き換えわが国は馬鹿正直と言うかなんと言うか。

片や自然の美しい平和をこよなく愛する永世中立国で、片や侵略国ですから。
スイスなんかユダヤ人から奪った資産を現金に換えてドイツの戦費にしたんですからね。
何が平和をこよなく愛するだボケなすが。

戦争に限らず経済は全てとは言わないけど多くのものの基本ですな。
経済で戦争が起こったり終わったりするのですな。


【毎日新聞】木語:元寇という貿易戦争、フビライは対日貿易拡大を狙っていた=金子秀敏[12/01]

∞木語:元寇という貿易戦争=金子秀敏

 元寇(げんこう)の沈没船が長崎県の鷹(たか)島沖で見つかったという話題に関連して、シャル
ロッテ・フォン・ヴェアシュア「モノが語る日本対外交易史 七-一六世紀」(藤原書店)におもしろい
ことが書いてあった。

 元朝の皇帝フビライは、文永、弘安と2度の「征日」戦争を発令したのに、その間も日本との貿易
活動は続けた。「むしろ、元朝の方針によって活性化していた」(以下、同書)というのである。

 文永の役の後、フビライは南宋を滅ぼすと、寧波(ニンポー)(浙江省)や泉州(福建省)など4カ所
に外国貿易船を管理する役所「市舶司」を置いて南宋の海外貿易政策を継承した。寧波は日本船、
高麗船の窓口だった。

 市舶司は、外国船の積み荷について、高級品は10%、一般品は15%の関税を徴収した。外国船
の入港が増えるほど元朝の財政がうるおうから、フビライは外国の商人を丁重に扱うよう指示した。

 日本は金、砂金、硫黄を輸出した。一方、中国大陸からの輸入品で目立つのは銅銭だった。かつて
韓国の新安(全羅南道・木浦(モッポ)付近)沖合に沈んでいた日本の貿易船から宋銭28トンが見つ
かった例がある。

 元寇のあった13世紀、日本は中国から大量に輸入した銅貨によって物々交換から貨幣経済システ
ムへ転換した。仏教僧の交流もとぎれなかった。鎌倉幕府の執権、北条時宗は、文永の役をはさんで
留学僧を中国に派遣し、中国人高僧を日本に招いた。

 いったい元寇とは、なにを目的とした戦争だったのか。フビライは対日貿易の拡大を狙っていた。
日本側の商都、博多を占領して日本に朝貢を強要し、元朝が世界の通商秩序の中心であることを
認めさせようとしたのではないか。現代でも、超大国が周辺国に経済協定に入れる入れないと迫る
ことがままある。

 中国の史書「元史」によると、フビライ帝の前で元軍の司令官が弘安の役の作戦を決めたとき、日
本人漂流民の持っていた地図が使われた。博多周辺の水路図らしい。

 実際、朝鮮半島から出た「東路軍」は南下して博多を襲ったが、日本の守備隊の反撃で志賀島に
後退した。一方、寧波を出た「江南軍」は、鷹島に上陸しようとした。鷹島を橋頭堡(きょうとうほ)にし
て東に進み、博多を攻略しようとしたのだ。

 しかし江南軍の出発が遅れたために、正面と側面から博多を攻める二正面作戦は破綻し、さらに
台風で作戦自体が中止された。

 元軍は博多を目指した。フビライにとって元寇の本質とは貿易戦争だった。(専門編集委員)


ソース:毎日jp 毎日新聞 2011年12月1日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/news/20111201ddm003070134000c.html

関連スレ
【毎日新聞】「元寇」「蒙古襲来」「神風」と軽く言う。それが、その後の日本人の安全保障観に悪影響を与えた[11/17]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1321525308/

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