2011年7月23日土曜日

今も昔も

朝鮮人には理解できないのでしょうね。
我が国は立憲君主制なんですね。
イギリスと同じです。
戦前の大日本帝国もその憲法を改正した日本国も立憲君主制なんですな。
立憲君主制とは、君臨すれども統治せずですな。
まあ、朝鮮人に限らず日本人でも天皇を独裁者みたいに思っているものが多くいるんですがね。
戦前は自由がなかったとか。

戦前にも自由はありましたよ。
そもそもあの戦争は国民が望んだ戦争でした。
戦争を煽ると新聞も雑誌もよく売れたんですな。
需要があれば供給があるのは当たりまえです。

武器商人は頼みもしないのに武器を売り込みに来るのもそうだし、基地の前には頼みもしないのに売春街ができるのと同じです。
慰安婦もね。

天皇は独裁者ではありません。
独裁者なら先の大戦はなかったでしょうね。
先の大戦において当時の権力中枢で最初から最後まで一貫して戦争に反対したのは昭和天皇のみでしたからね。
天応を亡き者としたって何も換わらないというのがわからんのでしょうかね。


まあ、厚生年金の記録が強制連行の証拠になる国だからね。
理解できないのも仕方ないかな。
朝鮮人だもんね。


【日韓歴史】 日王に手榴弾投擲したイ・ポンチャン~日王爆殺には失敗したが韓民族の独立意志培う[07/23]

李奉昌(イ・ポンチャン)は1931年1月大韓光復運動に身を投じようと上海の大韓民国臨時政府を
訪れ、韓人愛国団の金九(キム・グ)団長に会って日本生活の経験を土台に日王爆殺計画をたて
て、日本人が経営する鉄工所で仕事をしながら一カ月に一回キム・グ団長に会って偉業を準備した。

1931年12月13日、韓国人愛国団に加入して、1931年12月17日キム・グ団長の知らせを受け
て東京に出発した。東京に到着したイ・ポンチャン義士はヒロヒト日王が1932年1月8日東京代々
木練兵場で開かれる新年観兵式出席情報を入手し、この日を偉業日に決めてキム・グ団長に電
報を送った。

1932年1月8日桜田門前で日王に向かって手榴弾を投擲したが日王爆殺には失敗し胸の中の
太極旗を取り出して大韓独立万歳'を3度叫んだ後現場で逮捕されたイ・ポンチャン義士は9月東
京大審院で死刑宣告を受けて、10月市谷刑務所で殉国した。

イ・ポンチャン義士の義挙は日本帝国主義が神格化した日王を対象にし、挙事場所が日帝首都・
東京であった点でたとえ日王爆殺には失敗しても日帝総督府統治に苦しんだ韓民族に対する光
復の意志を培い、大韓民国臨時政府の大韓光復運動に新しい活躍素として作用した。

キム・ミンス、コラムニスト
http://www.thetimes.kr/data/profile/842.jpg

ソース:THE TIMES(韓国語) 日王に手榴弾投下したイ・ポンチャン
http://www.thetimes.kr/news/article.html?no=9617

0 件のコメント:

コメントを投稿