併合だよ。
どうしても仕方なく或いは無理やり連れてこられたことにしないと立場が弱くなるからという事でしょうね。
でもね、事実は自ら望んで来たんですよ。
在日特権は間違いなくありますよ。
生活保護なんか申請すればすぐにもらえるからね。
戦後に北朝鮮への帰国事業に日本政府や地方自治体が積極的に協力したのは生活保護の負担が財政を圧迫していたからなんですよ。
それは今も変わらない。
彼らにとれば帰化しないのは特権を失わないためです。
前にも書いたけどアメリカなんかじゃ軍に入隊すれば国籍をもらえるから入隊してますよ、戦争に行かないといけないのに。
だから国籍を餌に入隊をさそっているんだけどね。
日本じゃ逆だからね。
帰化しないほうが有利なんだから。
そりゃ帰化しないで居座るがな。
35年の統治の間に2回渡航制限がありました。
何れも解除されてますけどね、理由は差別反対の声に押されてでした。
学者が朝鮮人は日本国民であり憲法の保障する居住の自由に反するというもの。
また産業界からも反対が、理由は安い賃金で働く朝鮮人が欲しかったから。
自由に渡航できた時もあるし制限された時もあるし禁止された時もある。
民俗博物館に内地への移住許可証が展示されているはずですよ。
許可を貰って移住して来た朝鮮人が寄付したものです。
テレビのニュースでやってました。
以下はコピペです。
日韓併合後、奴隷階級の逃避、近代産業の仕事を求める出稼ぎや移住、
先進文明への憧れによる移住などで、多数の朝鮮人が日本に押しかけて来て、
無知文盲で犯罪が多い、低賃金で日本人の仕事を奪う、公有私有の空き地や河川敷などを
不法占拠して汚い朝鮮人部落を作るなど、大きな社会問題が発生した。
そのため920年代に 朝鮮人の日本本土への渡航が禁止されました。
するとこんどは密航で多数の朝鮮人が押しかけて来ました。
戦前の来日でも、大半が非合法の来日です。
『 当 分 の 間 鮮 人 労 働 者/内 地 渡 航 禁 止 さ る/ 反つて路頭に迷ふからと六日から渡航禁止』 京城日報 1923/9/8
これ以降は密航になる。それでも密航でどんどん押し寄せてきた。
渡航禁止時代の密航
『釜山に立往生する数千名の労働者/ 渡航制限の撤廃方を /釜山の鮮人有志から陳情』 京城日報 1924/5/26
『千人のうち半数はあてもなく渡航/下関で調べた鮮人労働者/ 大 部 分 は 文 な し 鳥』 京城日報 1925/10/27
『当 も な い 渡 航 者 依 然 と し て 多 い/総 督 府 の 取 締 緩 慢 を 門 司 署 員 が 嘆 息』大阪朝日 1928/5/26
『無鉄砲で内地へ渡航する朝鮮人/就職口も金もなく途方に暮れる』 京城日報 1925/10/3
『網 に 掛 つ た 七 百 名/内 地 渡 航 鮮 人 労 働 者 の 取 締』 京城日報 1925/10/31
『鮮人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還』 中国 1926/3/23
『怪しき汽船に/六十名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕』 大阪朝日 1926/4/13
『大胆な鮮人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)』 福岡日日 1926/4/11
『怪しき汽船に/六十名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕』 大阪朝日 1926/4/13
『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』 大阪朝日 1926/4/17
『七十余名の密航船/下関で発見』 京城日報 1926/4/17
『密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』 大阪朝日 1926/4/20
『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 1926/4/21
『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』 福岡日日 1926/4/29
……………………….. (まだまだいっぱい)
コピペ終わり。
【高校無償化】「在日がなぜ、日本で暮らすことになったか。それは植民地政策の為ではないか」朝鮮学校オモニ会-金秀子さん★7[03/12]
「無償化」から朝鮮学校を外そうとする動きを許すことができない。
私たちは税金を納めている。在日同胞がなぜ、日本で暮らすことになったか。
それは日本の植民地政策のためではないか。
鳩山政権が、高校「無償化」の対象に朝鮮学校も含むとの話を聞いたときは本当にうれしかった。
しかし、一方で朝鮮学校除外の声があがり、心配した。
朝鮮学校の除外は、私たちに対する弾圧である。
これまで、朝鮮学校を守るため同胞たちがどれほど血と汗を流したか。
私自身これまで多くの要請活動をしてきた。しかし、差別は続き、情勢は一向に良くならない。
良心的な日本の人々もいるが、差別を「当然」のように言う人もいる。
私はオモニとして、子どもたちの未来のために闘うだろう。子どもたちは、たとえ施設が不十分でも、
一生懸命学び、多くの成果をあげている。子どもたちの活躍は、オモニたちを喜ばせてくれている。
子どもたちの明るい未来のために力を合わせて闘おう。私もその先頭で力の限り闘い続けるから-。
(オモニ会京都府連絡会会長)
[朝鮮新報 2010.3.12] 記事の一部抜粋
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/03/1003j0312-00004.htm
★1の時刻 2010/03/12(金) 19:12:00
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1268414521/l50
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