朝鮮人は幸せ
ですな。
悪いことは何でも日本のせいにできますからね。
何でことわざの意味を変えなきゃいかんのだ。
アホが過ぎる。
こんなのが隣ですからね。
まあ、周りはみんなそうだけど。
ロシア、中国もそうだからまともなのはわが国だけですな。
測量用のくいを日帝の呪いの鉄杭なんていう馬鹿民族ですから仕方ないか。
朝鮮のことわざを貼っておきましょうかね。
朝鮮のことわざ
「女は三日殴らないと狐になる。」
「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。」
「他人の家の火事見物をしない君子はいない。」
「弟の死は肥やし。」
「梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる。」
「母親を売って友達を買う。」
「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。」
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。」
「あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。」
「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。
「家と女房は手入れ次第。」
「野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。」
「らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる。」
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」
「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」
「川に落ちた犬は、棒で叩け。」
「泣く子は餅を一つ余計もらえる。」
【韓国】 猜疑や嫉妬心は本当に我が国の人々に特徴的なのか~ことわざ「いとこが土地を買えば腹が痛い」の意味[07/28]
我が国には「いとこが土地を買えば腹が痛い。」ということわざがある。このことわざの意味は私が
知るところでは、隣人がうまくやると気分が悪くなるということだ。このことわざに我が国の人々の
性格を覗き見るようで苦々しい。
ある者はこのことわざは本来、良い意味で使われたと主張する。いとこが土地を買ったのでお祝
いしなければならないが、何もないので腹でも痛くして下痢でもして肥料を与えるという良い意図
を現わす言葉だった。ところが日帝強制支配期に日本はこのことわざを正反対の意味に変えた。
隣がうまくいくのを見ていられない心があるという意味になった。私たちにはそんな欲張りな心が
ないにもかかわらず、日本がことわざの意味を変え、その後変質して現在まで使われていると主
張する。しかし、日本が変えたことわざが今も使われる理由は我が国の人々の心理をよく反映し
ているからだ。もし、現代を生きる私たちに、そういう心理がなければ、いくら日本人たちがことわ
ざの意味を変えても自ずと無くなったり本来の意味で使わる様になっただろう。
こういう猜疑や嫉妬心は本当に我が国の人々に特徴的なのだろうか。最近、EBSで機能性磁気
共鳴撮影(f-MRI)を使ったおもしろい実験をした。韓国の主婦と米国の主婦にどんな状況で喜びを
感じるのかカードゲームをさせた。カードゲームで米国の母親たちは自分が点数を取った時だけ
喜びを感じる脳の補償システム(補償中枢)が活性化する反応を見せた。相手方の利益は何の関
係もなかった。
反面、韓国の母親たちは自身が点数を取った時ではなく、相手より良い点数を出した時だけ補償
脳が活性化した。我が国の母親は絶対的利益より相対的利益を喜んだ。自分がうまくいったら幸
せになるのではなく、人よりうまくいった時に幸福を感じるのが韓国の母親だ。米国の母親は他人
と比較するより自分の絶対的利益に満足する反応を見せた。
なぜ私たちは米国人と違って他人と比較し一喜一憂するのか。資源が制限され、その資源を望む
人が多くて競争せざるを得ないからのようだ。我が国は米国に比べて狭い土地に貧弱な資源を持
ち、密集した環境の中で生きている。それだけ競争することになる。米国人も競争をするが、米国
には広い土地がある。ミシガン州で職が得られなければフロリダ州にある会社に願書を出すこと
ができる。それもだめなら英国やオーストラリアなど他国へ移住できる。さもなければ、韓国にきて
英語講師になれる。選択の幅が広いから米国人が韓国人より競争的ではないようだ。
我が国の社会は急激に変わった。6・25韓国動乱(朝鮮戦争)以後、廃虚になってしまった私たち
は米国の援助なしでは生きられなかった。1960年代後半、小学生の時、筆者も米国から援助を受
けたとうもろこしで作ったパンを無償で食べた。大部分の子供は貧しかったし、弁当のおかずに卵
があれば他の人々の羨望をかった。
その後、現在まで我が国は本当に世界が驚く程、眩しく変わった。そのように変わる間に江南に
住んでいた貧しい農民がベンツに乗るほど成金になった。境遇が似た同窓生がアパートを何度か
売買すると数十億ウォン台の金持ちになっていた。日帝強制支配期から現代に到る私たちの社
会は激しい変化を経験し、その間、似たような水準のまわりの人が人生の逆転するのを見て腹が
痛くなる場合が多かった。このため、ことわざの意味が変わってずっと使われているのだ。
私たちは大きな変化の中で競争に遅れをとらないだろうか常に不安だ。今の機会を逃せば、永遠
に落伍者になるようで不安になる。過度に競争的な社会に生きながら形成されたせっかちな性質
のため、今日も私たちは緊張を緩めることができない。
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▲オ・ドンジェ精神健康医学科専門医
ソース:ソウル新聞(韓国語) [生命の窓]我が国の人々の競争心
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20120728026001
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