2012年10月16日火曜日

シンシアリーさんのブログから

シンシアリーさんのブログから
 嫌がらせしませんか。
 日本人はまじめだからね。
 サムライというか。
 相手の弱み着かないといけませんな。
 このベトナム戦争については当時も報道はありましたね。
 ソンミ事件と言いますけど、アメリカ軍による虐殺事件ですが。
 韓国軍なんかは数十もの村丸ごとの虐殺はありましたからね。
 従軍した韓国軍兵士が自慢げではなったでしょうけど本に書いてましたね。
 何故韓国が参戦したのかといいますと、朝鮮戦争の借りを返すのと外貨の獲得ですね。
 当時も今も韓国は外貨が不足してますからね。

参加した兵士は帰還後にこう言っています。
 「あの高速道路もあれもわれわれが作ったのだ」と。

白馬部隊とか猛虎部隊とか名前が付いていますたよね。
 確か、大統領だった全斗煥や盧泰愚が部隊長だったのではないでしょうか。

わが政府はベトナムに頼んで韓国に謝罪と賠償を要求させるべきでしょうね。
 徹底的に追及させるべきですよ。
 それくらいしないといけませんな。
 日本人はおとなしすぎですよ、国もね。


ベトナムの民間人虐殺に関する1999年の記事 (その1)
 2012-10-16 16:23:44NEW !
テーマ:不思議の国のアリラン

韓国でもっとも左派とされる新聞の記事で、殆どが証言で出来ています。

内容について責任は取れません。

ただ、「知らない」ならそれで終わりです。

こういう記事が存在しているのを「知る」ことで、肯定も否定もできるようになるからです。

内容が内容なだけに、「残酷なものはダメ」という方は読まないでください。人体切断とか普通に出てきます。

↑すみません。私の方が「疲れて」しまって、1と2に分けることにしました。残酷な内容は2に出てきます。

一部です。当たり前ですが、「筆者」は私ではありません。

1999年ハンギョレ21の記事「あ!体が震える韓国軍~ベトナム戦犯調査委の残酷な記録」(の一部)

・筆者は2年前、ベトナム政治局が出した「戦争犯罪調査報告書-南ベトナムでの南朝鮮軍隊の罪悪」という資料の一部を、苦労して手に入れることができた。 私はこの資料をまだ検証されていない、ベトナム側の一方的な報告書、しかし、いつかは解かなければならない宿題として机の引出しの中に入れておいた。

そして、「父の世代に行われた誤りではあるものの」、韓国とベトナムの、殺し殺されなければならなかった「辛い歴史の絡みを解くための」小さい努力の一環としてベトナムを訪問した韓国の市民団体「私と私達」一行に、初めてこの資料を公開した。
「私と私達」は昨年にも日本市民団体が出したピースボート(Peace Boat)に乗って韓国軍のベトナム良民虐殺現場を見回って、証言を収録したことがある。 “日本人の助けを借りて韓国人の問題を振り返ってみるという事実に胸が痛かった”という彼らは、今回は「韓国人の力で」ぶつかってみようという意志を集めて、また再び長い旅に出たのだ。 筆者は初めての目的地であるパンランまで同行することにした。

・パンランでは民間人虐殺事件の唯一の生存者、プー氏と、ウンウェンティユエハン氏に会うことが出来た。


↑プーさん(78歳)

プーさんは当時、町に降りていた。15歳だったウンウェンティユエハンさんは隠れて生き延びることが出来た。

今まで筆者を押しつぶしていた不安が、否認したい話が目の前で現実のものとなった。

・1969年10月14日、ベトナム南部パンラン地域でm韓国軍人がリンソン(Linh Son)寺の僧侶に向かって銃器を発車する事件が発生した。 サイゴンの報告によれば、韓国軍1人がリンソン寺でベトナム女性に悪戯をし、住持僧侶(主職僧侶)によって追い出された。

軍人は激怒、同僚を連れてきて銃器を乱射した。
はこの事件で71歳の住職僧侶、69歳の老僧、41歳の女僧、15歳の行者僧(見習い僧侶のようなもの)など4人が死亡した事実をベトナム政府が公式に認めたと報道した(<人民軍>紙1969.10.24)。

当時、ベトナム政府とタイハン(韓国人)に関する反感がすごかったという。

パンランの人たちは、その虐殺犯たちと同じ国から来た私達に果物や冷たい水を出すなど、とても優しかった・・・涙が出そうになった。

それでも、ベトナムで私達が聞いた話の中では、これが一番楽なものだったかもしれない。
 

↑写真は「忘れたい戦争」から。韓国軍に殺されたベトナム人は公式統計で41,450人だ。

ベトナムの民間人虐殺に関する1999年の記事 (その2)+α
韓国軍は残酷な大量虐殺を日常行っていて、南ベトナム民族解放電線(NLF)さえもできるだけ直接的な交戦は避けようとするほどだったと伝えられる。
1965年12月22日、韓国軍作戦兵力2個大隊がウィーンディーン省、クィニョン市にあるトンジアン村に500余発の大砲を発射し、「きれいに殺して、きれいに燃やして、きれいに破壊する」というスローガンの下、捜索掃討作戦を広げた。

彼らはこの村で12歳以下の22人の子供、22人の女性、3人の妊産婦、70歳以上の6人の老人を含む、50人余りを越える良民を虐殺した。

「ランは子供を出産して二日後に銃に撃たれて亡くなった。 彼女の子供は軍靴で踏みにじられ、血だらけになって母の胸の上に投げられた。
妊娠8ヶ月のチュックは弾丸に貫かれて亡くなり、子宮が外に持ち出されていた。
韓国兵士は一歳の子供を背負っていたチャンも銃で撃ち殺し、子供の頭を切って地に投げ飛ばし、残った体はバラバラに切り出してホコリくぼみに捨てた。

彼らはまた、二歳の子供の首を折り曲げて殺し、ある子供の体を持ち上げて木に投げつけて殺した後、火に焼いた。 そして12歳になったユングの足を撃って倒した後、生きたまま火の中に投げ入れた。

・当時の報告によれば、66年1月23日から2月26日まで約一ヶ月の間、猛虎部隊(部隊のニックネーム)3個小隊、2個保安大隊、3個民間自衛隊によってこの地域(ビンディン省を中心とした地域)だけで全1200人の住民が虐殺された。その中には1人も残らず抹殺された家族が8世帯。1535軒の家屋と850万tに達する食糧が燃やされ、649匹に達する水牛が殺された。

それでも、パンランで分かれた「私と私達」からの連絡によると、被害報告を追加しなければならなくなったという。

・このような捜索掃討作戦は一次的にじゅうたん爆撃の後、韓国軍など地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分し家を燃やし、ブルドーザーなどで村全体を押しつぶす方式だった。
生存者の韓国軍に対する証言で共通する点は、無差別機関銃乱射、大量殺戮、妊産婦卵子殺害、強姦殺害、家屋への放火などだ。
生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみれば、いくつ共通した類型が現れる。

-住民たち(大部分が女性と老人、子供たち)を一ケ所に集めた後、いくつかのグループに分けてから機関銃を乱射して抹殺。

-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と共に死亡者と生きた者をまるごと燃やす。

-子供たちの頭を破壊したり首をはねて、足を切るか手足を切断して、炎の中にに投げ捨てる。

-女性たちを回しながら輪姦した後に殺害し、妊産婦の腹を胎児がはみ出されるまで軍靴で踏みにじる。

-住民たちを村のタングル(地に掘ったトンネルのような穴)に追い詰めて毒ガスを噴射、窒息死させる。

韓国軍の大量虐殺が強行されたところには、子供たちの口にキャンディやケーキが、老人たちの口にはタバコが入っていた。 多分、村の人たちを安心させながら一ケ所で集める手段の一つだったようだ。

http://legacy.h21.hani.co.kr/h21/data/L990426/1p944q0c.html

↓は2000年の記事です

・・・去る1月頃、国防部のある将星(将軍)がハンギョレ21(本エントリーのソース)に連絡をしてきたことがある。
彼は「韓国軍の良民虐殺」問題に関心を表明しながら、ベトナム政府側の韓国軍良民虐殺資料が欲しいと言った。 この問題に対する何かの対策でも用意してくれるような雰囲気だった。ハンギョレ21はベトナム文化通産省が発行した「南ベトナムでの南朝鮮軍隊の罪悪」を含んだ分厚い10冊余りの資料を現地で調達し、渡した。
その後、国防部は何もしていない。

将星は<ハンギョレ21>が「中央情報部良民虐殺調査」情報公開を要請した件と関連して連絡をすると、

「なぜ30年も前の話を掘り出すんだよ」と、いつもの話をするだけだった。
さらには「ハンギョレ21の記者たちが立身出世と富貴揚名のために良民被害問題で騒いでいる」という悪口まで言い出した。

・<ハンギョレ21>が305号の表紙の話(※ベトナムで非武装青少年29人を爆弾で殺したことをハンギョレに証言した人)で証言したK氏は、取材チームと会って、心配していた。軍から電話があったらしい。

「先輩、なぜ参戦軍全体の名誉を汚すんですか?戦犯には控訴時効なんかありませんよ」

http://legacy.h21.hani.co.kr/h21/data/L000424/1p944o07.html

※2年か3年後、K氏は「韓国軍全体がそんなことをしたような誤解を呼んでしまった」と謝罪し、ハンギョレ21は謝罪文を載せました。

最後に何かオチが欲しいけど、今日はここで終えたいと思います・・・が、悔しくて追記↓

ただひとつだけ・・・70年~100年前の話で国民をコントロールしているのはどこの国でしたっけ。

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