2012年1月14日土曜日

ノーベル発見賞を差し上げます

しかし、よく発見しますなあ。
でも考えたら当時を知るものはいないんでしょうかね。
80歳以上のものならわかってるだろうに。
数年前の報道特集だったかな。
ノムたん時代ですね、親日派糾弾の集会みたいなものがあったんですよね。
会場に来ていた70歳代後半のおじいさんがこういってましたよ。
「私達の世代はみんな親日派でした、こんなことは言うべきではない」
当時日本は一等国と言ってましたからね。
朝鮮人は日本人でしたから一等国民だと誇りにしていたんですから。

前にも書いたけど左翼の収奪論の根拠が、「アリラン」と言う韓国の作家の書いた小説にある資料なんですよね。
彼らのいう日帝時代に農民のための水利組合なんかが作られているんですよね。
あれは何時だったか、テレビでかなり前ではあるんですが、韓国の地方にある建物に地名と水利組合の看板がありましたね。
今も使っているようでしたよ。
看板は漢字でしたね。
土地を収奪して水利組合がいるのかと。
組合ですよ組合。
農民がそれぞれ水利権を持っていたという証拠でしょうに。

李栄薫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%A0%84%E8%96%AB
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1180355662/

東洋拓殖
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%8B%93%E6%AE%96


【韓国】 景福宮のそばに日帝残滓「東拓官舎」確認~朝鮮の土地と資源、収奪するため日本の官僚が住んだ[01/13]

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▲ソウル市鍾路区通義洞一帯に残っている‘東拓官舎’(ハンギョレ資料)
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▲東拓官舎があるソウル市鍾路区通義洞一帯

過去、日帝強制支配期朝鮮の土地と資源を収奪する目的で設置された植民地搾取機関、東洋拓
殖株式会社の職員たちが暮らしたソウル社宅(東拓官舎)が100年過ぎた今も残っていることが確
認された。

ファン・ビョンウ文化遺産政策研究所所長は13日「一般にはほとんど知られていないが30軒ほど
の官舎官舎の一部が外見が多少変わったまま鍾路区通義洞一帯に残っている」と明らかにした。
実際、通義洞大林美術館と韓屋村近隣には日本式住宅の姿を帯びた古い家屋が集まっている。
瓦をのせた外見が韓国式家屋と似ているが、日帝強制支配期の日本人たちが生きた日本式建築
物だ。

東拓官舎は1910年、景福宮(キョンボックン)の西側で今のソウル鍾路区通義洞大林美術館と韓
屋村一帯に建てられた。この地域は朝鮮の21代王である英祖が王位に上がる前に住んだ彰義
宮があった場所で、朝鮮が日帝の植民地になり東拓の社宅に変わった。日帝は当時、大韓帝国
を農業地域に設定して大々的な農業移民を企画した。これを主導したのが東拓だった。

植民地経営のために東拓は多くの日本人官僚を朝鮮に派遣し、自然にこれらが集まって住む所
が必要だった。当時、東拓の本社は今、外換銀行本店がある中区乙支路2街181番地一帯‘黄金
正統’にあった。東拓本社で出退勤する日本官僚たちが生活した場がすなわち今の通義洞だ。

通義洞の東拓官舎は解放後、敵産払い下げ過程で民間に所有権が移った後、1970年代に入っ
て大くは高級住宅に変わった。だが、30軒ほどの東拓官舎は100年過ぎた今まで生き残った。ソ
ウル市内に日帝強制支配期に建てられた日本式住宅は1000軒以下水準で残っているとされる。

東拓官舎のように一部集合的に存在する所もある。100年を越えた建物だが、東拓官舎が文化財
に指定される可能性は低い。国家指定文化財に指定するには建物の状態が良くなければならな
いが、通義洞などに残っている東拓官舎はたいてい100年の歳月の間、改善補修がなされて外
見が変わった状態だ。

ファン所長は「植民残滓清算のために朝鮮総督府の建物も崩すというのに日帝残滓を文化財とし
て保護しなければならないのかという国民感情に考慮しなければならない」としながら「東拓官舎
の文化財指定は容易ではないだろう」と話した。

パク・キヨン記者

ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 景福宮そば日帝残滓‘東拓官舎’確認
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/514642.html

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