私は現場にいましたからね。
川崎重工業の坂出造船事業部に入社したのが昭和49年です。
新入社員の教育期間に会社の先輩の教育係の人が授業中にこう言ってました。
「こんなことやってたら必ずやられる」
つまり造船の全てを教えているんですよね。
私は当時独身寮にいたのですが、私と同じ部屋の友達が現代重工の忘れもしません、「高さん」の世話係をしてましたからね。
当時若かったですから部屋にはエロ本が山のようにありまして、そのエロ本を貪るように読んでいる遊びに来た件の高さんに聞いたことがあります。
韓国にはこのようなものはないのですか。
「ありません」
「まじめなんですねぇ」と私。
とにかく全て無料で教えたのですが韓国人は全くそんなことは認めませんからね。
その高さんも帰るときもありがとうの一言もなく帰っていかれました、ハイ。
ダンカン誰だそりゃ。
日本国に勲章を授与すべきですけどね。
まあ、いらないけど。
企業が何故に将来仕事を獲られるのがわかっていながら教えたのかといいますとね。
それは政府からの要請であり政府はアメリカからの要請で仕方なくやったんですね。
当時は、東西冷戦真っ盛りの時でしたからね。
少なくとも北朝鮮は韓国が防いで欲しいから経済力をつけさせたんですよ。
経済力なくして軍隊は維持できませんからね。
日本政府は安全のために韓国に全て教えたんですよ。
日韓併合が国家の安全保障の為だったのと全く同じですね。
韓国は、侵略と言ってるけど。
何にもない朝鮮なんか侵略して何になるんだよ、実際朝鮮総督府は赤字公債まで出してたじゃないか。
収奪して赤字公債を出さないといけない理由をあの田島陽子に是非聞きたいですな。
今は中国に世界一をとられたようですがね。
元々安いバルク船なんかばかりを受注してたんですがね。
まあ、造船量で言えば安いのを大量に作るんですから世界一は世界一なんでしょうけどね。
これは、同じ構図ですな。
三星の家電も現代の自動車もどの分野でも安いから売れているつまり安売りで市場を取ったんですよ。
家電は10%くらい日本製より安いですし、自動車では40%も安売りしてるんですよ。
シンシアリーのブログ
http://ameblo.jp/sincerelee/entry-11123782232.html
須田慎一郎ですかね。
経済ジャーナリストと自称しているようですが、自称ですよ。
テレビでサムスンなんかは品質面で遜色ないしデザイン面では日本のメーカーを上回っているなんていってましたがね。
アホかと。
安いだけだよ。
少し調べればわかることなんですがね。
最近売れてきたから調べてないんでしょうね。
韓国の家電製品は品質面で劣っているのは明白ですからね。
必ずや日はまた登るのを信じていますけどね。
日本も安売りから出発しましたが、品質を高めたのは自らの努力で行ったんですよ。
その点は韓国企業とは決定的な違いですな。
【韓国】韓国造船業、世界首位浮上の陰にスコットランド人の存在、故ダンカン氏に最高栄誉勲章、日本との受注競争でも貢献[01/02]
∞韓国造船業、世界首位浮上の陰にスコットランド人
∞故ダンカン氏に最高栄誉勲章
1975年晩春、縮れ髪に着古した背広姿のスコットランド人が釜山の金海空港に降り立った。鄭熙永
(チョン・ヒヨン)現代重工業社長(当時)と営業チームが同氏を出迎えた。この人物は、中東のユナイ
テッド・アラブ・シッピング(UASC)で技術責任者を務めていたウィリアム・ダンカン氏だ。
当時、韓国の造船業はよちよち歩きの段階だった。現代重工業はドックもなく、砂地を掘り、そこで船
を建造していた。そんな現代重工業にUASCは多目的船舶15隻を発注し、技術責任者のダンカン氏を
韓国に送り込んだ。
「ダンカン氏はスコットランドなまりの英語を話し、ユーモアにあふれた性格だった。料亭の韓国式
家屋、韓国の料理や酒を好んだ。会食の席では、社員が歌うと指揮者のように手を振り、意気投合
した。ある時には、社員が『アベマリア』を上手に歌うと、アンコールを叫び、全員で歌う羽目になった」
当時営業担当部長だったファン・ソンヒョク氏(現ファンファ商事社長)は、ダンカン氏のことをこう振り
返った。しかし、船の建造現場では性格が180度変わった。元々意地っ張りで細かい性格だったため、
現場の社員に悪口を浴びせることは日常茶飯事。大声を張り上げて言い争うこともあった。ファン氏は
「ダンカン氏の前ではいい加減なことは通じず、1ミリの誤差も許されなかった」と語った。
だが、ダンカン氏は韓国礼賛論者でもあった。ファン氏は「作業現場ではややこしく、気が強い性格
だったが、外に出ると韓国の良い点ばかりを探そうとしていた」と語った。
ダンカン氏は1978年1月、現代重工業がUASCのコンテナ船4隻を受注した際にも、重要な役割を果た
した。当時受注が途絶えた現代重工業は、コンテナ船の受注に死活を懸け、日本の石川島播磨重工業
(現IHI)と激しい受注競争を展開していた。
当時、日本側に傾いていたUASCのトッド社長は、鄭熙永社長を呼び、日本側に受注を譲ることを求
めた。しかし、鄭社長は最後まであきらめなかった。ファン氏は「激しい受注競争が続いていたある日、
ダンカン氏は食堂で紙ナプキンに日本の入札価格を書き記し、そのメモをそっと落として立ち去った」
と語った。現代重工業は同日、最終価格を提示し、受注に成功した。
ダンカン氏は1975年から5-6年にわたり、蔚山とクウェートを往来し、造船業不毛の地だった韓国に
船舶の設計、建造に必要な技術を教えた。そして、わずか5-6年で現代重工業が30隻以上の船舶を
受注するのに寄与した。
ダンカン氏が1980年に韓国を去るころには、外国の友人に「彼ら(現代重工業)を見てほしい。英国
で100年かかったことを3-4年でやってのけた。これから世界の造船については、彼らに聞くべきだ」
と話していたという。ダンカン氏の予言が現実のものとなるまでには3年もかからなかった。ダンカン氏
から技術を学んだ現代重工業は、83年に世界トップの造船会社に成長し、韓国は99年に日本を追い
抜き、世界最大の造船国に浮上した。
韓国政府は今年の貿易総額が1兆ドルを突破したことを記念し、韓国の輸出発展に寄与した功労者
31人を先月12日に表彰すると発表した。ダンカン氏には、白徳鉉(ペク・トクヒョン)元浦項綜合製鉄(現
ポスコ)副社長と並び、最高栄誉の「金塔産業勲章」が授与される。
ところが、韓国政府はダンカン氏の消息をたどるのに苦労した。英国警察に照会したが、韓国のよう
な住民登録制度がない上、個人情報保護が徹底しており、情報を入手するのは困難だった。そこで、
スコットランド人が多く住む地域の新聞に広告も掲載した。結局、2カ月後に英国で造船を専攻する
韓国人教授を通じ、ダンカン氏の妻子の居住地が判明した。ダンカン氏は81年9月、胃がんで死去し
ていた。勲章は息子のアンドリュー・ダンカン氏が来韓して受け取ることになっている。
80年10月、胃がんで闘病中だったダンカン氏はファン氏に「私は君たちにとって何だね?」と尋ねた。
ファン氏は「韓国の造船業の歴史に最も大きな足跡を残した人物の一人として記憶されることでしょう」
と答えたという。
(終わり)
全洙竜(チョン・スヨン)記者
ソース:朝鮮日報日本語版 2012/01/02 12:33
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/01/02/2012010201277.html
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