2012年12月15日土曜日

再掲

再掲
確か二回目の再掲ですね。
去年の大震災以後わが国では温暖化は死後になりました。
が温暖化は着実に進んでいます。
海洋の酸性化も進んでいますからね。
このたびの選挙では脱だか卒だか言われておりますけど実際国民の関心は原発にはありません。
経済ですね。
小沢さんなんかは事故のときには地元には帰らず逃げ回っていたんですよね。
有権者がどう判断するかですな。
管さんなんかは同情を引くためわざと事故を起こしたんじゃないかと。
大げさな包帯なんか巻いてるんだろうな。
ところで気になるのが今回のマスコミの報道ですな。
前回の衆院選では民主圧勝なんかの報道は全くなかったですからね。
それに比べて今回は自民圧勝ばかりですから。
なるほど自民に勝たせたくないわけですな。
アナウンス効果で圧勝までは行かなくなってきたようですよ。

安倍さんも温暖化のことがあるから原子力発電は止められないとはっきり言うべきですけどね。

シェール革命で石油やガスの価格は下がることになるでしょう。
そうなればもう終わりです。
シェールとは頁岩のことです。
頁(けつ)とはページのことですね。
本のページのように薄い層が重なっているのが頁岩です。
イギリスの大ブリテン島の南岸に頁岩が露頭しているところがありますが、その層が島の下を通って北海まで続いているのですな。
その先が北海油田です。
頁岩は石油の臭いがしますね。

イースター島の歴史は人類の未来である
2008/09/20 02:04

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

4世紀頃から、同じポリネシアのマルケサス諸島から渡ってきた人が、イースター島に暮らすようになったといわれている(年代については3世紀から9世紀まで諸説あり、はっきりしていない)。化石や花粉の研究から、当時のラパ・ヌイは、世界でも有数の巨大椰子が生い茂る、亜熱帯性雨林の島であったと考えられている。初期のヨーロッパ人来航者は、「ホトゥ・マトゥア」という首長が2艘の大きなカヌーでラパ・ヌイに入植したという伝説を採取している。

モアイ像10世紀頃から、モアイの製作が始まる。当時彼らの作ったモアイや墳墓、石碑など考古学上極めて重要な遺跡が数多く残されている。人口も増加し、最盛期では1万5千人を超えていたと見られる(人口についても6千人から3万人まで諸説あり)。
その後、モアイ製作やカヌー製造、農耕の拡大などで伐採が進み、島全体から森林が消えてしまう。その結果、表土が流出し、農地は荒れ果て、また木材が不足してカヌーの生産にも支障が出たことから大規模な飢餓が発生。そのためもあり、16世紀から17世紀にかけて部族間の紛争が起こり、モアイの破壊合戦が起こる(一説ではあるが、耳長族がモアイの製作を行っていた耳短族に無理な要求を行い、それに反発した耳短族との間で、 モアイ倒し戦争が勃発したと伝承されている)。この時代、人口は激減し、伝承によれば人肉食さえ横行していたとされる。
1722年、オランダ海軍提督、ヤコブ・ロッゲフェーンが発見。発見した日がイースターであったため「イースター島」と名前が付いたといわれている。1774年には、イギリス人探検家のジェームス・クックも上陸している。クックの上陸当時は、島のモアイの半数ほどがまだ直立していたという。なお、伝承では1840年に最後のモアイが倒されたとされる。
18世紀から19世紀にかけて、住民らが奴隷として連れ出されたり、ヨーロッパ人などにより外部から持ち込まれた天然痘が猛威を振るったりした結果、島の人口はさらに激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれた。1872年当時の島民数は、僅か111人であった。1888年にチリ領になり現在に至る。


国際日本文化研究センター   安田喜憲教授
環境考古学が予言する地球温暖化の行く末
急速な温暖化がもたらす大洪水と文明の危機


http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/interview/080122_yasuda01/

0 件のコメント:

コメントを投稿